北方領土交渉を再スタート
【モスクワ=佐々木正明、半沢尚久】安倍晋三首相がロシアのプーチン大統領
との29日の首脳会談で、北方領土交渉の再スタートで合意する見通しとなった
首相のロシア訪問に同行している政府筋が28日、明らかにした。
首相は28日午後(日本時間同日夜)、政府専用機でモスクワに到着。
同行筋によると、日露両首脳は会談後、共同声明を発表する方向で最終
調整している。声明は(1)北方領土交渉の再スタート(2)政治対話の強化
(3)安全保障分野での協力強化(4)極東・東シベリアなどでの経済分野の
協力推進(5)文化・スポーツ・人的交流の推進(6)北朝鮮を含めた
国際問題での協力-6項目を柱とする。
首相は出発に先立ち、記者団に「プーチン露大統領との個人的な信頼関係
を構築したい。停滞していた平和条約交渉の再スタートとなる訪問にしたい」
と述べていた。
一方、両首脳は、医療・農業・都市インフラを柱とした新たな経済協力につい
ても署名文書を交わす。
昨年、330億ドル(約3兆2300億円)まで達した両国の貿易総額は資源や
自動車関連取引などに偏重。懸案の領土交渉の先行きが不透明な中
両政府は経済協力の裾野をさらに広げ、関係促進を図ることで
基本合意に達した。
首脳会談では、極東アムール州での農業支援や最先端放射線医療センター
の設置、省エネに効果のあるコージェネレーション(熱電併給)システムの
整備協力などについて取り決めが交わされる。
電力と熱を同時に作り出すコージェネレーションシステムは、極東の電力
会社がハバロフスク州でパイロット事業を行うこととし、日本企業が得意とする
エネルギー効率化事業のロシアでの普及を狙う。
北方領土問題
北方領土問題(ほっぽうりょうどもんだい、ロシア語: Проблема принадле
жности южных Курильских островов)は、北海道根室半島の沖合にあり
現在ロシア連邦が実効支配している択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の
島々、すなわち北方領土に対して、日本が返還を求めている領土問題。
北方領土
1945年9月2日、日本は降伏文書に調印した。この時、南樺太・千島の日本軍
は赤軍極東戦線に降伏することが命令され、南樺太・千島はソ連の占領地区
となった。1952年サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復
したが、同条約にしたがって、南樺太・千島列島の領有権を放棄した。この
条約にソ連は調印していないため、ソ連との国交回復は、1956年日ソ共同宣言
により行われた。この時、日ソ間で領土の帰属に関して合意が得られなかった
その後、日ソ・日ロ間には、幾つかの共同声明や共同コミュニケがあるが
平和条約締結や領土問題での合意に至っていない。
1941年4月、日ソ間で、日ソ中立条約が締結された。その2ヵ月後、ドイツが
突如ソ連に侵攻し、独ソ戦が勃発。日本政府は、御前会議において、情勢ノ
推移ニ伴フ帝国国策要綱を策定、独ソ戦が日本に有利に働いたときはソ連に
侵攻することを決めた。さらに、日本軍は関東軍特種演習(関特演)を実施
ソ連侵攻の準備を整えた。しかし、日本政府の思惑とは異なって、独ソ戦は
膠着し、日本のソ連侵攻の機会は得られなかった。
ソ連はスターリングラード攻防戦・クルスク戦車戦以降、独ソ戦を有利に
展開するようになる。こうした中、1943年11月、テヘラン会談が米・英・ソ三国
首脳により開かれ、当面の戦争、戦勝権益の連合国間での分割、連合国の
覇権に置かれる戦後世界の戦略に関して幅広い協議が行われた。このときの
合意は、1945年2月のヤルタ協定に引き継がれた。
当時アメリカは米国人の戦争犠牲をなるべく少なくすることを狙っており
そのためには、ソ連の対日参戦が必要だった。独ソ戦で大きな被害を受け
ていたソ連国民には、更なる戦争への参加をためらう気持ちも強かったが
戦後世界の勢力バランスを考慮したスターリンは米国の参戦要求を了承した
当初ポツダム宣言への連名は、日本と交戦状態に無いソ連は除外されて
いたが、ソ連は参戦後、ポツダム宣言に参加した。その後、アメリカ主導で
作成されたサンフランシスコ講和条約においても、既にソ連が占領している
南樺太や千島をヤルタ会談での取り決め通り
日本に放棄させる内容となっている。
1945年ドイツ敗北の3ヵ月後、ソ連は米・英との合意にしたがって対日宣戦布告
翌日、ソ・満国境を越えて満州に進攻、8月14日に締結されたソ華友好同盟
条約に基づいて、満州を日本軍から奪取した。満州の日本軍は、蒋介石の
国民党軍ではなく、赤軍に対し降伏すると取り決められていた。翌年3月12日
蒋介石の駐留要請を断って、赤軍は、瀋陽から撤退を開始し、5月3日には
旅順・大連に一部を残し、完全に撤退した。一方、南樺太では、8月11日
日ソ国境を侵犯し、日本に侵攻した赤軍は8月25日までに南樺太全土を
占領した。樺太占領軍の一部は、26日に樺太・大泊港を出航し、28日択捉島
に上陸、9月1日までに、択捉・国後・色丹島を占領した。歯舞群島は9月3日
から5日にかけて占領されている。
1945年9月2日、日本は降伏文書に調印し、連合国の占領下に入った。千島
南樺太はソ連の占領地区とされた。1946年1月29日、GHQ指令第677号により
南樺太・千島列島・歯舞・色丹などの地域に対する日本の行政権が一時的に
停止され、同2月2日に併合措置(ソ連邦最高会議一九四六年二月二日付命令)
サハリン島南部及びクリル諸島の領域を1945年9月20日にさかのぼり国有化
宣言。これはヤルタ協定に基づくものの条約によらない一方的行政行為
(一方的宣言)であり当該領域についての最終帰属に関する問題が発生する。
2月11日に米国とともにヤルタ密約の存在について公表。
1952年サンフランシスコ講和条約発効により、日本は独立を回復したが
同条約にしたがって、南樺太・千島列島の領有権を放棄した。条約締結に
先立つ1946年末から、日本は米国に対して36冊に及ぶ資料を提出、日本の
立場を説明している。この中の2冊は千島に関する事項であることが
知られている。このような経緯があって、千島列島の範囲が、日本に
不利なように定義されなかったが、同時に、日本に有利なように
定められることもなかった。
1952年3月20日にアメリカ合衆国上院は、「南樺太及びこれに近接する島々
千島列島、色丹島、歯舞群島及びその他の領土、権利、権益をソビエト連邦
の利益のためにサンフランシスコ講和条約を曲解し、これらの権利、権限及
び権益をソビエト連邦に引き渡すことをこの条約は含んでいない」とする
決議を行った。この米上院の決議の趣旨は、サンフランシスコ講和条約
第25条として明示的に盛り込まれている。米国上院のこの決議[は
サンフランシスコ条約批准にさいする解釈宣言であり有効である。但し外交
交渉そのものの権限は大統領府にあり議会にあるわけでは無いので
当条約を批准した以降に大統領府がおこなう別の外交交渉を直接拘束する
訳ではない。また他の参加・批准国を直接拘束するものではない(他の
批准国はサンフランシスコ講和条約により直接的に拘束されている)。
サンフランシスコ講和条約をソ連は調印しておらず、ソ連とは、1956年日ソ
共同宣言によって、国交が回復した。このとき、日ソ間では歯舞群島・色丹島
の返還で合意しようとする機運が生まれたが、日本側が択捉島・国後島を
含む返還を主張したため交渉は頓挫した。結果、現在もロシアとの平和
条約締結に向けて交渉が行われているが、領土問題に関する具体的な
成果は得られていない。
日本政府は1997年に在ハバロフスク総領事館サハリン出張駐在官事務所
を開所し(12月27日)、2001年にはサハリン州ユジノサハリンスクに総領事館
を設置した。総領事館の設置に際してはロシア政府と交換公文や往復
書簡を交わしロシアの同意を得ており、総領事の配置にもアグレマンを得て
いるが、日本政府としては南樺太の最終的な帰属先は未定であるとの立場
であり、仮に将来において何らかの国際的解決手段により南樺太の
帰属が決定される場合にはその内容に応じて必要な措置を取るとしている
鈴木宗男は南樺太についての政府解釈は難しいだろうと指摘したうえ
で北方領土の帰属は日本であると確認をしている。近藤昭一は総領事
館設置を既成事実として南樺太の帰属問題を解釈する危うさを指摘し
日本がロシアに対して依然南樺太の領有権を主張しうるとする説や
日本が領有権を主張し得ないと同様に対日平和条約の当事国でないソ連
もこの条約に基づいて南樺太・千島列島の領有権を主張できないとする説に
言及する。
日本の北方領土の意義
北方四島は外国の領土になったことがない日本固有の領土であり、ソ連の対日
参戦により占領され不法占拠が続けられている状態であり、この問題が存在
するため戦後60年以上を経たにもかかわらず日露間で平和条約が締結され
ていない、とするのが日本政府の見解である。内閣府では「固有の領土で
ある北方四島の返還を一日も早く実現するという、まさに国家の主権にかかわ
る重大な課題」としている。根室・釧路の漁民はソビエト・ロシアの不当な
領土権主張にもとづく海域警備行動により銃撃を受け現実の死傷者を
出しており、これらに謝罪や賠償がないばかりか、あまたの不法な拘留
や罰金の徴収を強要されている状況にある。
旧島民は高齢化しており、彼らはふるさとへの平穏で早急な帰郷を望んでいる。
ソビエト・ロシアの不法占拠が継続することで、ロシア住民のなかにも北方
占領地で生まれた二世がおり、いち早い問題の決着をおこなうことが必要
である。彼らにも生活基盤があり愛郷意識が芽生え始めており、ロシア政府
の返還拒否の姿勢は外交上の障碍を取り除く政治的コストを、時間の経過
とともに一段と高くする惧れがある。
領有
領有(りょうゆう)とは、領土などを自国、自分のものであるとすること。
とくにこの領有という言葉は、自分のものであるという主張を意味し、領土
編入の際、早い者勝ちというのが大半である。しかし、一番早く領有した
としても、領土問題に発展したり、あるいは、紛争の大きな原因と指摘され
ている。条約などの取り決めによって
領土が画定されていない時などの場合を言う。
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