自分の頭で「歴史認識」を考えよう
「日本は自衛のために戦った」
というのはどういうこと?
「彼ら(日本人が)が戦争に入った目的は、主として
自衛のために余儀なくされたものである」
※これは、引退後のマッカーサーが
1951年のアメリカ上院委員会で発言した内容です。
東京裁判で東條英機は一貫して、共産主義の脅威を
訴えました。
満州を守らなければ、共産主義がアジアに広がってしまう。
満州事変なども、背後で共産主義勢力が扇動していたと
主張しました。
ソ連は17年のロシア革命の後、王家一族を皆殺しにして
「君主制の廃止」を行いました。
天皇制の日本にとっては脅威です。
さらに、ソ連では反体制派の粛清など、人権弾圧も
行われていました。
そこで日本は36年、共産主義の拡大を阻止するため
にドイツと「防共協定」を結びました。
防共協定 - Wikipedia
ところが戦後、連合国は、日本とドイツはこの頃から
ソ連侵略を目論んでいたと糾弾しました。
実際には、東京裁判のわずか2年後に朝鮮戦争が起こり
朝鮮半島は南北に分断。
アメリカはようやくソ連の脅威を理解しましたが、すでに
支那も共産主義国家となっていました。
アメリカはその後、ソ連などの共産主義国と対立し続け
そのツケを払うことになりました。
国民が自分の頭で
「歴史認識」を考えよう
アメリカ現地インタビュー
A級戦犯はユダヤ人を救ったヒーロー
(マーヴィン・トケイヤー)
──日本はドイツの同盟国でした。
大戦当時、他の欧米諸国でさえホロコーストに苦しむ
ユダヤ人を助けるどころか、積極的に差別しました。
ですから私は
「ナチスドイツの同盟国だった日本は、なおさらユダヤ人を
差別し、弾圧しただろう」と思い込んでいました。
──なぜ考えを変えたのですか。
ト: 歴史を研究していく中で、日本はユダヤ人を助けた
唯一の国だと分かったからです。
満州でユダヤ人を助けた「A級戦犯」
ト: 1938年1月、満州に駐留する日本軍は
八紘一宇の精神のもとに、ユダヤ人を平等に扱うという
「対ユダヤ民族施策要領」を策定しました。
その後すぐ、満州の樋口季一郎少将は
「満州の国境に数千人から約2万人のユダヤ人難民が
押し寄せている」という連絡を受けます。
ヒトラーの迫害を恐れ、リトアニアやポーランドから
シベリア鉄道経由で逃げてきた人たちでした。
オポトール事件 ユダヤ人を救った日本陸軍軍人
http://www.youtube.com/watch?v=xOLtUtHePAg
──彼らはビザを持っておらず、本来は満州に
入れません。
彼らの入国を認めるのは、ナチスドイツとの関係上も
危険でした。
ト: しかし樋口少将は、以前からナチスのユダヤ人弾圧を
許せないと思っていました。
彼はユダヤ人救出を決断しました。
ユダヤ人に貢献した人たちを讃える
「ゴールデンブック」には樋口少将の名もあります。
樋口季一郎 - Wikipedia
──ユダヤ人の救出は
樋口少将が独断で行ったのですか。
ト: まさか、そんなことはできません。
実は、先に述べた「要領」の決裁者も、ユダヤ人救出の
責任者も、関東軍司令部参謀長でした。
東條英機の遺言 - Wikipedia
上司である東條が認めなければ、樋口少将は
動けません。
絶対に無理です。
何かあったら責任を取るのは、樋口ではなく東條ですから。
このことは、ユダヤ人の中でも私ぐらいしか知らないことです。
「八紘一宇」の意味は人類愛
(デービッド・ウィリアムズ)
──いわゆる「太平洋戦争」には
どのような意義があったと考えますか。
ウィリアムズ(以下、ウ)
先の大戦の本質を理解するには、「大東亜戦争」という
表現を使うべきでしょう。
日本は戦争に負けはしましたが、連合国がどんなに
「日本は間違っていた」と言おうとも、日本の戦いが
アジアにおける欧米の植民地支配の幕を下ろさせた事実は
誰も否定できません。
──国際社会では
「アメリカをはじめとする連合国が
日本のアジア侵略を阻止した」と
受け止められています。
ウ: その認識が誤りであることは
1919年のベルサイユ会議の時点で、すでに日本が
人種差別の撤廃を提案していたことを考えれば分かります。
ウィルソン米大統領によって却下されましたが
国際会議の場で人種差別の撤廃を提案したのは
日本が初めてであり、歴史的なことでした。
ウィルソン大統領は南部出身で
政府の職員から黒人をすべて排除しており、この提案を
受け入れられませんでした。
アメリカではその約30年後に公民権運動が起こりましたが
世界の人種差別をなくそうという流れは
日本から始まりました。
その意味では、当時の日本は世界をリードしていたと
言えます。
アメリカは、先の大戦で、アジアにおける
日本の権益を奪おうとしていました。
そればかりか、イギリス、フランス、オランダの覇権も
取り除きたいという帝国主義的な野心を抱いていました。
今日における「アメリカ一極支配体制」は
そのときすでに始まろうとしていたのです。
朝鮮の権利は?
欧米は、植民地で土地や命を奪った。
欧米諸国は植民地支配で、現地人の人権や地権を
踏みにじりました。
スペインの中南米征服では
1世紀の間に約3300万人の原住民が犠牲になりました。
欧米は、虐殺で不足した労働力を補うため
アフリカの植民地から黒人奴隷を「強制連行」し
その数は300年の間に1000万人を超えます。
またフランスは、インドシナ半島東部を植民地化した際
「土地所有」という概念のない現地人に対し
「所有者のいない土地は没収する」と通達して
大量の土地を収奪。
アメリカも同じく
「土地所有」の概念がなかったインディアンに無理やり
署名させ、土地を収奪しました。
日本は朝鮮人に選挙権と被選挙権を与えていた
1932年、衆院議員当選に喜ぶ朝鮮人の朴春琴
日本は朝鮮に民主主義を導入しました。
終戦によって実際の選挙は行われませんでしたが
1945年には「朝鮮内で選挙を行い、日本の国会に代表を
送る」ことができる選挙法が制定されていました。
在日朝鮮人に関しては早い段階で
選挙権・被選挙権が認められ
1930年以降ハングルで投票用紙に記入
することも可能でした。
さらに、1930年代から多くの在日朝鮮人が衆院選挙に
立候補し、実際に国会議員も誕生しています。
日本は朝鮮人に土地を与えた
教科書には日本が「一方的に土地調査をし、所有権が
明確でないとして多くの土地を朝鮮農民から奪った」
と書いてありますが、実際はどうなのでしょうか。
日韓併合前の朝鮮では
土地の所有制度がなく、支配階級が農民の土地を
暴力的に奪うことが日常的に行われていました。
日本はそうしたことを防ぐためにも土地調査を行い
所有権をはっきりさせたのです。
農民たちも
自分の土地が地籍に上がるのを喜び、積極的に
協力しました。
結果的
未申告地で残ったのは全体の3%のみで、それも
朝鮮の人々に払い下げられました。
日本は皇族を朝鮮に嫁がせた
日本は日韓併合後
朝鮮人を日本人と等しく扱うという意思を示すため
日本皇族・梨本宮方子を、朝鮮の皇太子・李垠に
嫁がせました。
イギリスは真逆のことをしており
ビルマを植民地にした際、滅ぼした王朝の王女を
一般のインド人兵士と結婚させました。
しかもそのインド人には正妻がいたため
王女は愛人扱いとなっています。
テキサス親父
(本名 トニー・マラーノ)
従軍慰安婦に関心を持ったきっかけは
2012年、ニューヨーク州のロング・アイランドにある公園に
南朝鮮系団体の政治活動で、朝鮮人の慰安婦像が
建てられたからです。
この公園は
朝鮮戦争に従軍した米兵士に敬意を払う追悼碑がある場所。
そこに、朝鮮戦争と何の関係もない慰安婦像を建てることは
「アメリカの追悼碑を冒とくしている」と
腹立たしく思ったのです。
もし、日本軍が強制的に20万人もの朝鮮女を慰安婦に
させたのなら、朝鮮男は抗議したり、暴動を起こすはずです。
しかし、20万人以上の朝鮮男は、日本軍として戦いました。
これは不条理なことに思えます。
慰安婦像を建てるのなら、むしろ南朝鮮は
朝鮮戦争で虐殺した10万~20万人の自国民のために
慰霊碑を建てるべきです(注)。
(注)保導連盟事件。
1950年に始まった朝鮮戦争を受け、李承晩大統領が
軍や警察を動員し、共産主義者やその家族、民間人を
含め、自国民を大量に虐殺した。
保導連盟事件 - Wikipedia