電車で化粧はやめなはれ
化粧は公然としてするものではなく、家で行うべきのものです。
そのように教えられていない(躾されていない)不幸な人と思っています
日本には、恥じらいと云う言葉があります。(羞恥心)
私は女性はやはり「恥じらい」の気持ちを持っていて欲しいと思います
躾
しつけ(躾・仕付けまたは仕付)とは、人間の子供または大人が
人間社会・集の規範、規律や礼儀作法など慣習に合った立ち振る舞い
(規範の内面化)ができるように、訓すること。
概念的には伝統的な子供への誉め方や罰し方も含む。
ドイツ語では、しつけのことを、die Zuchtというが、これは人に限らず動物
(家畜)の調教、訓練の意味もあり日本語のしつけと同じである。
しつけをすることは、自由に伸び伸びと育てる(または放任してしまう)ことの
対極にあると考えられている。一定の厳しさをもって育てていくことを含ん
でおり、体罰を科す場合も見られ、これらが児童虐待に発展する事例も見受
けられることもあるため、しつけ行為そのものが児童虐待だと考える向きもある。
しかし、いずれしつけがなければ人間としての道徳規範にも関わるとの考え方
もあるため、児童教育におけるしつけは、社会的な道徳観念やマナーが不足
しているとして、その重要性を再認識する人も存在する。
躾は、中国から伝えられた漢字ではなく、日本で考案された漢字であり
いわゆる「国字」と呼ばれるものです。峠、凪(なぎ)、働、畑、辻などもこれら
の仲間だと言われています。
この「躾」という漢字を分解すると
「身」と「美」になり「身だしなみを美しくする」と解釈できます。
「よくできたとても素晴らしい漢字だ」と、思われます。
「しつけ」という言葉は、もともと「着物を仕付ける」ということに
結びついて成り立ってきた言葉であることを受け、「しつけ」という言葉の
本質について言及されたものでした。幼児や小学生をもつおかあさん方に
参考にしていただける話だと思いますので、ご紹介してみましょう。
「『躾』という字がもたらす意味よりも、この『着物の仕付け』を背景
とする意味のほうが、子どもをしつける過程の本質をよく表しているので
はないか」とおもわれます。ご存知のように、「仕付け」とは、着物の形が
整うよう、仮に縫いつけておくことを言いますが、そこで大切なことは、着物が
やがて縫いあがると、仕付けの糸がはずされるということです。着物の完成
をもって、もはや仕付けの糸はそこにあってはいけないものになるのです。
子育てにおいて、私たちはいつのまにか肝心なことを忘れがちです。「しつけ」
とは、やがてそれがはずされるものであるという前提に立って行われるべきも
のだ」ということもその一つかもしれません。この前提に立ってしつけにあたっ
ているかどうかが、子どもにとって大切な自律と深く
関わっているのだとおもわれます。
羞恥心
羞恥心(しゅうちしん)は、自らを恥ずかしいと感じる心。
羞恥心とは、自我や自尊心の延長にある概念で、恥となる行動をしてしまった
場合に感じるものである。これらでは、社会規範への適応といった行動を
促すが、その一方で過度に感じる場合には、行動の萎縮などといった
問題を生む。
自分が社会的なルールや常識を知らないで、ルールに違反してしまったり
自分が望むだけの成果を上げられなかったりした場合に、自分が身の置き
所がなくなり、自身の内にこみ上げてくる感情・情動のことと解され、これら
は様々な面で、道徳や人道といった概念が引き合いに出され、自身の
行動を適正化させていく。
電車の中で化粧をする女性はこんな
メッセージを送っている
脳科学の研究によると、われわれ黄色人種の脳の構造は、母性と父性に見守
られ多様な人間関係に囲まれた集団の中で常識を学び成長するように出来
ているのだそうだ
、戦後日本は、もともとの黄色人種の脳の構造とは相容れないにもかかわらず
核家族化や個室化を始めとする欧米の生活様式をモデルとしてきた。
その結果、脳の前頭連合野が発達しなくなり、自分の内と外を区別する脳の
発達が遅れ、車内で化粧しても何とも思わない人間が生まれてきたのだと言う。
電車の中で化粧している彼女たちは、「小学生ぐらいで個室を与えられ、集団
で行動することも余りなかったし、家庭、学校、地域社会からも“集団”として
どう振舞えばよいかも教えてもらうことがなかったのです
だから、何が恥ずべきことなのかわからないのです」というメッセージ
を送っているということになる そうです
※注意
脳科学者は「電車内で化粧する女は一種の脳機能障害」との
新説を述べている
脳障害と思われたくなくて公衆の面前での化粧を自粛するだろうか