2013年6月13日、中国最大の民間教育機関・信孚教育集団の創設者、信力建
(シン・リージエン)氏は「台湾文化を見て分かった中国との『似て非なる』部分」
と題した記事を中国のブログサイトに掲載した。
唐代の中国を見たければ日本へ行けばいい。
日本には唐代の建築や歌舞が残っている。
中華民国時代の中国が知りたければ、台湾だ。
台湾には伝統的な「仁義礼智信」がある。
中国はハード面では欧米に「追い付き追い越せ」を実現してきたが、こうした
伝統的な文化を見掛けることはなくなった。
1949年に台湾と中国が分かれて以来、国学は中国で「旧思想、旧文化」とみな
され、徹底排除の対象になった。
台湾に逃れた国民党はこれとは逆に中国伝統文化の復興に力を入れた。
中国が文化大革命を行っていた時、台湾の蒋介石は中華文化復興運動を
推し進めていた。
台湾の学校では子供たちに数千年にもわたって使用されてきた繁体字の漢字
を教え、伝統文化の思想教育を重視している。
中華民国は中国に200万人の知識分子を残してきたが、「革命」や「運動」に
よって、これらの人々は消滅してしまった。
文革期間中、中華民族の始祖とされる炎帝と黄帝の陵は完膚なきまでに
破壊された。
1966年11月には孔子の墓が暴かれ、その遺体と副葬品は燃やされている。
台湾を旅行した中国の観光客は「台湾は中国よりも礼節の国だ」という感想
を抱く。
こちらが言うよりも早く「ありがとうございます」と言う店員。
バス停ではきちんと並び、降りる人が全員降りるまで乗り込もうとしない。
バスの車内には高齢者や体の不自由な人たちのための「博愛シート」があり
若者はそこには座らない。
レストランで食事をする際は、自分のテーブルとその周りを汚さないように
注意を払う。
粗暴な態度を常日頃から経験している中国人は、その違いに目を見張ることに
なるのだ。
日本統治時代 (台湾)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/04/20 13:18 UTC 版)
台湾の日本統治時代(にっぽんとうちじだい)は、日清戦争の結果下関条約に
よって台湾が清朝(当時の中国)から日本に割譲された1895年(明治28年
光緒21年)4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が
日本から中華民国に編入された1945年(昭和20年、民国34年)10月25日まで
の時代である。
第二次世界大戦後、中国国民党と中国共産党間で国内統一を争う国共内戦が
起こり、これに勝利した中国共産党が1949年10月1日に中華人民共和国を
樹立する。
南京国民政府は崩壊するが、蒋介石を中心とする国民党勢力は台湾島へと
移り、1949年12月7日に国民党政府を再構築した。
「南京に虐殺など無かった」 当事者、蒋介石の証言
蒋介石総統は涙ぐんで「松井閣下には誠に申し訳ないことをしました」
手が震え、涙で目を潤ませてこう言うのです。
「南京に大虐殺などありはしない。
ここにいる何應欣将軍も軍事報告の中でちゃんとそのことを記録してあるはずです。
私も当時、大虐殺などという報告を耳にしたことはない。
松井閣下は冤罪で処刑されたのです」と言いながら、涙した。
南京は中華民国の首都であり、蒋介石は同国の総統であった。
一国の最高責任者が明言するのであるから、その言に耳を傾けるべきであろう。
(『騙される日本人』(PHP刊)より。