1945年3月26日未明、日本軍硫黄島守備隊は最後の組織的反攻を行い 市丸少将は遺書としてアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた 尚、公式な戦死日は訣別の電報が打電された3月17日とされている。 市丸が所有していた刀を米兵が拾い、ニュージャージー州の骨董店に並べ 2月23日に星条旗を摺鉢山に掲げた6名の海兵隊員のうち、生きて故国の地を 1985年(昭和60年)2月19日、硫黄島において、日米双方の元軍人・退役軍人ら
米国大統領への手紙
【原文】(ルーズベルトに与える書)
日本海軍、市丸海軍少将、書ヲ「フランクリン
ルーズベルト」君ニ致ス。
我今、我ガ戦ヒヲ終ルニ当リ、一言貴下ニ告グル所アラントス。
日本ガ「ペルリー」提督ノ下田入港ヲ機トシ、広ク世界ト国交ヲ結ブニ至リシヨリ約百年、此ノ間、日本ハ国歩難ヲ極メ、自ラ慾セザルニ拘ラズ、日清、日露、第一次欧州大戦、満州事変、支那事変ヲ経テ、不幸貴国ト干戈ヲ交フルニ至レリ。
之ヲ以テ日本ヲ目スルニ、或ハ好戦国民ヲ以テシ、或ハ黄禍ヲ以テ讒誣シ、或ハ以テ軍閥ノ専断トナス。思ハザルノ甚キモノト言ハザルベカラズ。
貴下ハ真珠湾ノ不意打ヲ以テ、対日戦争唯一宣伝資料トナスト雖モ、日本ヲシテ其ノ自滅ヨリ免ルルタメ、此ノ挙ニ出ヅル外ナキ窮境ニ迄追ヒ詰メタル諸種ノ情勢ハ、貴下ノ最モヨク熟知シアル所ト思考ス。
畏クモ日本天皇ハ、皇祖皇宗建国ノ大詔ニ明ナル如ク、養正(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)ヲ三綱トスル、八紘一宇ノ文字ニヨリ表現セラルル皇謨ニ基キ、地球上ノアラユル人類ハ其ノ分ニ従ヒ、其ノ郷土ニ於テ、ソノ生ヲ享有セシメ、以テ恒久的世界平和ノ確立ヲ唯一念願トセラルルニ外ナラズ。
之、曾テハ「四方の海
皆はらからと思ふ世に
など波風の立ちさわぐらむ」ナル明治天皇ノ御製(日露戦争中御製)ハ、貴下ノ叔父「テオドル・ルーズベルト」閣下ノ感嘆ヲ惹キタル所ニシテ、貴下モ亦、熟知ノ事実ナルベシ。
我等日本人ハ各階級アリ。各種ノ職業ニ従事スト雖モ、畢竟其ノ職業ヲ通ジ、コノ皇謨、即チ天業ヲ翼賛セントスルニ外ナラズ。
我等軍人亦、干戈ヲ以テ、天業恢弘ヲ奉承スルニ外ナラズ。
我等今、物量ヲ恃メル貴下空軍ノ爆撃及艦砲射撃ノ下、外形的ニハ退嬰ノ己ムナキニ至レルモ、精神的ニハ弥豊富ニシテ、心地益明朗ヲ覚エ、歓喜ヲ禁ズル能ハザルモノアリ。
之、天業翼賛ノ信念ニ燃ユル日本臣民ノ共通ノ心理ナルモ、貴下及「チャーチル」君等ノ理解ニ苦ム所ナラン。
今茲ニ、卿等ノ精神的貧弱ヲ憐ミ、以下一言以テ少ク誨ユル所アラントス。
卿等ノナス所ヲ以テ見レバ、白人殊ニ「アングロ・サクソン」ヲ以テ世界ノ利益ヲ壟断セントシ、有色人種ヲ以テ、其ノ野望ノ前ニ奴隷化セントスルニ外ナラズ。
之ガ為、奸策ヲ以テ有色人種ヲ瞞着シ、所謂悪意ノ善政ヲ以テ、彼等ヲ喪心無力化セシメントス。
近世ニ至リ、日本ガ卿等ノ野望ニ抗シ、有色人種、殊ニ東洋民族ヲシテ、卿等ノ束縛ヨリ解放セント試ミルヤ、卿等ハ毫モ日本ノ真意ヲ理解セント努ムルコトナク、只管卿等ノ為ノ有害ナル存在トナシ、曾テノ友邦ヲ目スルニ仇敵野蛮人ヲ以テシ、公々然トシテ日本人種ノ絶滅ヲ呼号スルニ至ル。之、豈神意ニ叶フモノナランヤ。
大東亜戦争ニ依リ、所謂大東亜共栄圏ノ成ルヤ、所在各民族ハ、我ガ善政ヲ謳歌シ、卿等ガ今之ヲ破壊スルコトナクンバ、全世界ニ亘ル恒久的平和ノ招来、決シテ遠キニ非ズ。
卿等ハ既ニ充分ナル繁栄ニモ満足スルコトナク、数百年来ノ卿等ノ搾取ヨリ免レントスル是等憐ムベキ人類ノ希望ノ芽ヲ何ガ故ニ嫩葉ニ於テ摘ミ取ラントスルヤ。
只東洋ノ物ヲ東洋ニ帰スニ過ギザルニ非ズヤ。
卿等何スレゾ斯クノ如ク貪慾ニシテ且ツ狭量ナル。
大東亜共栄圏ノ存在ハ、毫モ卿等ノ存在ヲ脅威セズ。却ッテ、世界平和ノ一翼トシテ、世界人類ノ安寧幸福ヲ保障スルモノニシテ、日本天皇ノ真意全ク此ノ外ニ出ヅルナキヲ理解スルノ雅量アランコトヲ希望シテ止マザルモノナリ。
飜ッテ欧州ノ事情ヲ観察スルモ、又相互無理解ニ基ク人類闘争ノ如何ニ悲惨ナルカヲ痛嘆セザルヲ得ズ。
今「ヒットラー」総統ノ行動ノ是非ヲ云為スルヲ慎ムモ、彼ノ第二次欧州大戦開戦ノ原因ガ第一次大戦終結ニ際シ、ソノ開戦ノ責任ノ一切ヲ敗戦国独逸ニ帰シ、ソノ正当ナル存在ヲ極度ニ圧迫セントシタル卿等先輩ノ処置ニ対スル反撥ニ外ナラザリシヲ観過セザルヲ要ス。
卿等ノ善戦ニヨリ、克ク「ヒットラー」総統ヲ仆スヲ得ルトスルモ、如何ニシテ「スターリン」ヲ首領トスル「ソビエットロシヤ」ト協調セントスルヤ。
凡ソ世界ヲ以テ強者ノ独専トナサントセバ、永久ニ闘争ヲ繰リ返シ、遂ニ世界人類ニ安寧幸福ノ日ナカラン。
卿等今、世界制覇ノ野望一応将ニ成ラントス。卿等ノ得意思フベシ。然レドモ、君ガ先輩「ウイルソン」大統領ハ、其ノ得意ノ絶頂ニ於テ失脚セリ。
願クバ本職言外ノ意ヲ汲ンデ其ノ轍ヲ踏ム勿レ。
市丸海軍少将
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【英文】
A Note to Roosevelt
Rear
Admiral R. Ichimaru of the Japanese Navy sends this note to Roosevelt.
I have
one word to give you upon the termination of this battle.
Approximately a
century has elapsed since Nippon, after Commodore Perry’s entry to Shimoda,
became widely affiliated with the countries of the world. During this period of
intercourse Nippon has met with many national crises as well as the undesired
Sino-Japanese War, Russo-Japanese War, the World War, the Manchurian Incident,
and the China Incident. Nippon is now, unfortunately, in a state of open
conflict with your country.
Judging Nippon from just this side of the screen
you may slander our nation as a yellow peril, or a blood thirsty nation or maybe
a protoplasm of military clique.
Though you may use the surprise attack on
Pearl Harbour as your primary material for propaganda, I believe you, of all
persons, know best that you left Nippon no other method in order to save herself
from self-destruction.
His Imperial Highness, as clearly shown in the
“Rescript of the Founder of the Empire” “Yosei” (Justice), “Choki” (Sagacity)
and “Sekkei” (Benevolence), contained in the above three fold doctrine, rules in
the realization of “Hakko-ichiu” (the universe under His Sacred Rule) in His
Gracious mind. The realization of which means the habitation of their respective
fatherlands under their own customs and traditions, thus insuring the
everlasting peace of the world.
Emperor Meiji’s “The four seas of the world
that are united in brotherhood will know no high waves nor wind” (composed
during the Russo-Japanese War) won the appraisal of your uncle, Theodore
Roosevelt as you yourself know.
We, the Nippon-jin, though may follow all
lines of trade, it is through our each walk of life that we support the Imperial
doctrine.
We, the soldiers of the Imperial Fighting Force take up arms to
further the above stated “doctrine”.
Though we, at the time, are externally
taken by your air raids and shelling backed by your material superiority,
spiritually we are burning with delight and enjoying the peace of mind.
This
peacefulness of mind, the common universal stigma of the Nippon-jin, burning
with fervour in the upholding of the Imperial Doctrine may be impossible for you
and Churchill to understand.
I hereupon pitying your spiritual feebleness pen
a word or two.
Judging from your actions, white races especially you
Anglo-Saxons at the sacrifice of the coloured races are monopolizing the fruits
of the world.
In order to attain this end, countless machinations were used
to cajole the yellow races, and to finally deprive them of any
strength.
Nippon in retaliation to your imperialism tried to free the
oriental nations from your punitive bonds, only to be faced by your dogged
opposition. You now consider your once friendly Nippon a harmful existence to
your luscious plan, a bunch of barbarians that must be exterminated.
The
completion of this Greater East Asia War will bring about the birth of the East
Asia Co-Prosperity Area, this in turn will in the near future result in the
everlasting peace of the world, if, of course, is not hampered upon by your
unending imperialism.
Why is it that you, an already flourishing nation, nip
in bud the movement for the freedom of the suppressed nations of the East.
It
is no other than to return to the East that which belongs to the East.
It is
beyond our contemplation when we try to understand your stinted
narrowness.
The existence of the East Asia Co-Prosperity sphere does not in
anyway encroach upon your safety as a nation, on the contrary, will sit as a
pillar of world peace ensuring the happiness of the world. His Imperial
Majesty’s true aim is no other than the attainment of this everlasting
peace.
Studying the condition of the never ending racial struggle resulting
from mutual misunderstanding of the European countries, it is not difficult to
feel the need of the everlasting universal peace.
Present Hitler’s crusade of
“His Fatherland” is brought about by no other than the stupidity of holding only
Germany, the loser of the World War, solely responsible for the 1914-1918
calamity and the deprivation of Germany’s re-establishment.
It is beyond my
imagination of how you can slander Hitler’s program and at the same time
cooperate with Stalin’s “Soviet Russia” which has as its principle aim the
“socialization” of the World at large.
If only the brute force decides the
ruler of the world, fighting will everlastingly be repeated, and never will the
world know peace nor happiness.
Upon the attainment of your barbaric world
monopoly never forget to retain in your mind the failure of your predecessor
President Wilson at his heights.
-Rear Admiral Ichimaru
悪魔の化身鬼畜ルーズベルト
【口語訳】(ルーズベルトに与うる書)
日本海軍市丸海軍少将が、フランクリン・ルーズベルト君に、この手紙を送ります。
私はいま、この硫黄島での戦いを終わらせるにあたり、一言あなたに
告げたいのです。
日本がペリー提督の下田入港を機として、世界と広く国交を結ぶようになって
約百年、この間、日本国の歩みとは難儀を極め、自らが望んでいるわけでもな
いのに、日清、日露、第一次世界大戦、満州事変、支那事変を経て、不幸なこと
に貴国と交戦するに至りました。
これについてあなたがたは、日本人は好戦的であるとか、これは黄色人種の禍
いである、あるいは日本の軍閥の専断等としています。
けれどそれは、思いもかけない的外れなものといわざるをえません。
あなたは、真珠湾の不意打ちを対日戦争開戦の唯一つの宣伝材料としていま
すが、日本が自滅から逃れるため、このような戦争を始めるところまで追い詰め
らた事情は、あなた自身が最もよく知っているところです。
おそれ多くも日本の天皇は、皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養正(正義)
重暉(明智)、積慶(仁慈)を三綱とする八紘一宇という言葉で表現される国家
統治計画に基づき、地球上のあらゆる人々はその自らの分に従ってそれぞれの
郷土でむつまじく暮らし、恒久的な世界平和の確立を唯一の念願とされているに
他なりません。
このことはかつて、
四方の海
皆はらからと 思ふ世に
など波風の 立ちさわぐらむ
という明治天皇の御製(日露戦争中御製)が、あなたの叔父であるセオドア
ルーズベルト閣下の感嘆を招いたことで、あなたもまた良く知っていることです。
わたしたち日本人にはいろいろな階級の人がいます。
けれどわたしたち日本人は、さまざまな職業につきながら、この天業を助ける
ために生きています。
わたしたち軍人もまた、干戈(かんか)をもって、この天業を広く推し進める助けを
させて頂いています。
わたしたちはいま、豊富な物量をたのみとした貴下の空軍の爆撃や、艦砲射撃
のもと、外形的には圧倒されていますが、精神的には充実し、心地はますます
明朗で歓喜に溢れています。
なぜならそれは、天業を助ける信念に燃える日本国民の共通の心理だからです。
けれどその心理は、あなたやチャーチル殿には理解できないかもしれません。
わたしたちは、そんなあなた方の心の弱さを悲しく思い、一言したいのです。
あなた方のすることは、白人、とくにアングロサクソンによって世界の利益を独り
占めにしようとし、有色人種をもって、その野望の前に奴隷としようとするものに
他なりません。
そのためにあなたがたは、奸策もって有色人種を騙し、いわゆる「悪意ある善政」
によって彼らから考える力を奪い、無力にしようとしてきました。
近世になって、日本があなた方の野望に抵抗して、有色人種、ことに東洋民族を
して、あなた方の束縛から解放しようとすると、あなた方は日本の真意を少しも
理解しようとはせず、ひたすら日本を有害な存在であるとして、かつては友邦で
あったはずの日本人を野蛮人として、公然と日本人種の絶滅を口にするように
なりました。
それは、あなたがたの神の意向に叶うものなのですか?
大東亜戦争によって、いわゆる大東亜共栄圏が成立すれば、それぞれの民族が
善政を謳歌します。
あなた方がこれを破壊さえしなければ、全世界が、恒久的平和を招くことができる。
それは決して遠い未来のことではないのです。
あなた方白人はすでに充分な繁栄を遂げているではありませんか。
数百年来あなた方の搾取から逃れようとしてきた哀れな人類の希望の芽を
どうしてあなたがたは若葉のうちに摘み取ってしまおうとするのでしょうか。
ただ東洋のものを東洋に返すということに過ぎないではありませんか。
あなたはどうして、そうも貪欲で狭量なのでしょうか。
大東亜共栄圏の存在は、いささかもあなた方の存在を否定しません。
むしろ、世界平和の一翼として、世界人類の安寧幸福を保障するものなのです。
日本天皇の神意は、その外にはない。
たったそれだけのことを、あなたに理解する雅量を示してもらいたいと、わたし
たちは希望しているにすぎないのです。
ひるがえって欧州の情勢をみても、相互の無理解による人類の闘争が、どれだけ
悲惨なものか、痛嘆せざるを得ません。
今ここでヒトラー総統の行動についての是非を云々することは慎みますが、彼が
第二次世界大戦を引き起こした原因は、一次大戦終結に際して、その開戦の
責任一切を敗戦国であるドイツ一国に被せ、極端な圧迫をするあなた方の戦後
処置に対する反動であることは看過すことのできない事実です。
あなたがたが善戦してヒトラーを倒したとしても、その後、どうやってスターリンを
首領とするソビエトと協調するおつもりなのですか?
およそ世界が強者の独占するものであるならば、その闘争は永遠に繰り返され
いつまでたっても世界の人類に安寧幸福の日は来ることはありません。
あなた方は今、世界制覇の野望を一応は実現しようとしています。
あなた方はきっと、得意になっていることでしょう。
けれど、あなたの先輩であるウィルソン大統領は、そういった得意の絶頂の時に
失脚したのです。
願わくば、私の言外の意を汲んでいただき、その轍を踏むことがないようにして
いただきたいと願います。
市丸海軍少将
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市丸利之助海軍中将 硫黄島守備隊
市丸 利之助(いちまる りのすけ、1891年(明治24年)9月20日 - 1945年
(昭和20年)3月26日)は、日本海軍の軍人である。
最終階級は海軍中将(戦死による特進)。
佐賀県東松浦郡久里村(現在の唐津市)出身。
日本海軍の航空草創期のパイロットである。訓練飛行中に操縦索が切れ
搭乗機が墜落し右大腿骨、頭蓋骨、顔面を骨折した。
再手術を行うなどして、 療養生活は3年近くに及ぶ。
復帰後、予科練設立委員長となり、次いで初代部長として教育にあたる
市丸の指導は教育学的にも評価され、市丸は予科練育ての親といわれる。
大東亜戦争において第二十一航空戦隊司令官として南方戦線で指揮をとり
次いで第十三連合航空隊司令官として内地防空にあたる。
1944年(昭和19年)に第二十七航空戦隊司令官として硫黄島に赴任し
翌年の硫黄島の戦いで戦死した。市丸の戦死の状況は明確ではないが
アメリカ大統領・フランクリン・ルーズベルトに宛てた手紙を残し戦後有名となる。
手紙はアナポリス博物館に保管されている。
戦死状況
栗林忠道陸軍中将、市丸海軍少将以下、数百名の残存部隊がアメリカ軍陣地
へ総攻撃をかけた。
『ルーズベルトニ与フル書』をしたため、これをハワイ生まれの日系二世三上弘文
兵曹に英訳させ日本語、英語各一通を作りアメリカ軍が将校の遺体を検査する
ことを見越してこれを村上治重大尉に渡した。
村上大尉は最後の突撃の際にこれを懐中に抱いて出撃し戦死
『ルーズベルトニ与フル書』は目論見どおりアメリカ軍の手に渡り、7月11日
アメリカで新聞に掲載された。
それは日米戦争の責任の一端をアメリカにあるとし、ファシズムの打倒を掲げる
連合国の大義名分の矛盾を突くものであった。
(ルーズベルトは4月12日に死去したため、『ルーズベルトニ与フル書』は本人は
目にしていないとみられる。)
市丸の最期を確認した者はおらず、遺体も発見されていない。
られていたが、市丸の遺品であることが判明しNHKのテレビ番組を通じ遺族の
元へ戻っている
硫黄島の戦い(いおうとうのたたかい、いおうじまのたたかい、Battle of Iwo Jima,
1945年2月19日 - 1945年3月26日)
太平洋戦争末期に東京都小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との
間で行われた戦いである。アメリカ軍側の作戦名はデタッチメント作戦
(Operation Detachment)
硫黄島の戦いで、日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)
が戦死した。
捕虜となった人数は3月末までに200名、終戦までにあわせて1,023名であった。
アメリカ軍は戦死6,821名、戦傷21,865名の損害を受けた。
硫黄島の戦いは、太平洋戦争後期の島嶼防衛戦において、アメリカ軍地上部隊
の損害が日本軍の損害を上回った稀有な戦闘であったと同時に、アメリカが
第二次大戦で最も人的損害を被った戦闘のひとつとなった。
踏むことが出来たのは3名のみであった。
第3、第4、第5海兵師団は硫黄島の戦いで受けた損害のために沖縄戦には
参加できず、硫黄島上陸当日における戦死者数501名は、1日の戦闘によって
生じた戦死者数としては海兵隊創設以来から2010年(平成22年)現在に至る
まで最大である。
第二次大戦中にアメリカ海兵隊に与えられた名誉勲章(メダル・オブ・オナー)の
4分の1以上が硫黄島攻略部隊のために与えられており、摺鉢山に星条旗が
掲げられた日は、戦後「アメリカ海兵隊記念日(合衆国海兵隊記念日)」に
制定された。
(現在ではアメリカ軍の記念日に統一されており各軍の個別記念日は無い)。
アーリントン国立墓地の近くに位置する合衆国海兵隊戦争記念碑は
『硫黄島の星条旗』をかたどったものである。
また、海軍はいくつかの艦船に「イオー・ジマ(Iwo Jima)」と命名している。
400名による合同慰霊祭が行われた。
かつて敵として戦った双方の参加者たちは互いに歩み寄り、抱き合って涙を
流したという。
この日建立された慰霊碑には日本語と英語で次の文章が綴られている
「我々同志は死生を越えて、勇気と名誉とを以て戦った事を銘記すると共に
硫黄島での我々の犠牲を常に心に留め、且つ決して之れを繰り返す事のない
ように祈る次第である」
なお、片方の当事者チェスター・ニミッツ海軍大将は「硫黄島上で戦った人の間で
類稀な勇気は共通の美徳だった。」とこの戦いを著書の中で総括している。
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硫黄島からの手紙・・
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