日韓併合以前の朝鮮半島について
「日韓併合」といった場合の
「韓」は現在の大韓民国ではなく、大韓帝国のことで
おおよそ現在の南朝鮮と北朝鮮をあわせた朝鮮半島一帯を
に寄生民のいた賤国である。
元々は朝鮮、または李氏朝鮮(りしちょうせん)という名で、
この李氏朝鮮という名は、一口で言えば明や清の属国でした。
李氏朝鮮という国は、
1392年から約500年間朝鮮半島を支配していた王朝で、
この国は、それまで朝鮮半島を支配していた高麗の臣下である
李成桂という人物が主君を裏切り明(ミン)の力を借りて
王の座に着いたことで興った国であったため、李王朝建国後
も継続して明の支配下に置かれ、続く清王朝にも引き続き
属国として扱われていた。
敵国であった明の協力で打ち立てられた国でその後の
李朝が明の属隷国家に転落したのは必然である。
国民は奴隷民族化され、私有財産も没収された。
李朝は専制王権制度に体制を変え、朝鮮民族が古代から
高麗に至るまで連綿と持ち続けた国際的自尊を放棄し
明の属国として堕落が始まった。
『歴史再検証 日韓併合の真実』より
【李朝は、讒言(ざんげん)と嘘で血塗られた残酷史の連続
であった。
これは、今日、北朝鮮の金政権に引き継がれている。
残念ながら
私は李朝500余年の「朝鮮王朝」と今日の「北朝鮮」は
住民を奴隷にした暴虐集団である点で共通していて、
「国家」という概念にはあたらないと考えている。
(中略)
全ての科学・社会・宗教・芸術を虐待し続け
両班階級が住民を蛆虫のように扱った500余年間
人口は今日の北朝鮮と同様
搾取と飢餓によって減少を続けた。
他力本願ながら
李朝の歴史に終止符を打った日韓併合は
この民族にとって千載一遇の好機であった。
これを否定することは、歴史の歪曲である。】
日韓併合の日本側の理由
そんな国を、日本が併合した理由は
もちろん李王朝の暴政から
朝鮮の人々を救うためなどではありませんでした。
日本が一方的に武力で制圧し占領したものではなく
当時の大韓帝国が日本の統治に入ることを選択し
条約を締結することで実現したものである。
日本は幕末以来、自らの国家の存亡の危機を痛感しており、
特に明治時代前半は、勢力を南下させる動きを見せていた
ロシア帝国の脅威を最も強く感じていた。
日本にとって、ロシア帝国の勢力が朝鮮にまで
南下されてしまうということは、北海道のすぐ北のサハリンと
九州のすぐ北の朝鮮半島とで挟み撃ちの形となり
日本への侵略も時間の問題ということになっていしまうため
朝鮮半島は何としても死守しなければならないという状況に
あった。しかし、
そのような荒んだ社会状況にあった李氏朝鮮は、勢いに
乗るロシアから自国を守る力は到底ありませんでした。
そこで日本は
朝鮮半島をなんとかして近代化し、ロシアの進出を防ぐため
に影響力を及ぼそうとしましたが、李氏朝鮮を長年属国として
扱ってきた清がそれを許しませんでした。
そうして日本と清との間で勃発した戦争が
「日清戦争」(1894〜1895年)です。
結局
日本はこの日清戦争に勝利し、朝鮮半島を独立させることに
成功します。
この戦争の直後から李氏朝鮮は国号を大韓帝国と改めました。
また、
これによって朝鮮の王であった高宗は、清からの独立を喜び
自らを「王」から「皇帝」に昇格させ、清の「皇帝」と肩を
並べたということです。
これにより国は、独立国として、清に代わって日本の影響下
に入り、その後の併合に繫がっていくことになる。
1910年(明治43年)8月22日に
日韓併合条約が漢城(現在のソウル特別市)で
寺内正毅統監と李完用首相により調印され
同月29日に裁可公布により発効、大日本帝国は
大韓帝国を併合し、その領土であった朝鮮半島を領有した。
1945年(昭和20年)8月15日
大日本帝国は第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)
における連合国に対する敗戦に伴って実効支配を喪失
同年9月2日、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを
約束した降伏文書調印によって、正式に大日本帝国によ
る朝鮮半島領有は終了した。
伊藤博文のメモ書き、「併合」望まぬ補強史料
九州大(福岡市)は2010年12月
日本が明治38(1905)年に大韓帝国(当時)との間で
結んだ第2次日韓協約の交渉の場で、特派大使だった
伊藤博文が韓国の保護国化を「(韓国の)富強が達成
されるまで」とするメモ書きを残していたと発表した。
伊藤は韓国併合を望んでいなかったとする
見方を補強する史料で、専門家は「伊藤の当時の心情を
知る貴重なメモ」としている。
メモ書きは、協約の締結日に伊藤が当時の桂太郎首相
に送った電文の下書きとともに、協約交渉時の通訳官
だった前間恭作の孫が保管していた。
前間は伊藤のメモ書きとともに自らがしたためた解説文
を残しており、前間の説明によると
「韓国の富強の実を認むる時に至る迄」と書かれた
メモは協約交渉の場で伊藤本人が筆を執り、案文と
して韓国皇帝高宗に示されたという。
安重根なる人物をご存じでしょうか。
1909(明治42)年、中国・ハルビン駅に降り立った
初代韓国統監、伊藤博文は、朝鮮人反日運動家の
安重根が撃った銃弾で死亡した。
その後
安は関東都督府により、テロリストとして処刑された。
それから104年もたって、南朝鮮・朴が安重根を
〝反日の英雄〟として担ぎ出したのである。
2013(平成25)年6月、朴大統領が支那を訪問し
習近平と会談した際、習主席に
「安重根は中・韓にとって、日韓併合に反対した
英雄的人物ニダ」
として、ハルビン駅前に記念碑の建立を要請したのである。
支那外交部は、「歴史上、著名な抗日の義士として
記念碑設置を進めていく」と表明した。
これは中・姦がタッグを組んで反日行動に出た
分かりやすい一例である。
「(朝鮮人は)その嘘っぽい理論で結論を下す
呉善花(南朝鮮生まれの日本評論家)
「どこの国でも犯罪で最も多いのは窃盗であるニダ。
また、起訴された数字だけで見ると、南朝鮮の法廷
それだけ昔から嘘が多い国である。
国内でお互いを騙し合っている分には日本が
しかも、日本人は嘘をつくことが大嫌いな民族なので
なので、この南朝鮮の嘘を信じてしまっている
そして、他の国と違い、南朝鮮は日本の植民地では
朝鮮側から頼まれて
それも武力による併合ではなく、条約によって
もちろん日本国内や朝鮮人による反対の声も沢山ありましたが、米英露伊仏独にも朝鮮を日本に押し付けられるような形で併合を成し遂げます。
そして、これは西ドイツと東ドイツの併合の様に
しかも、条約を見ればわかりますが、大韓帝国の
そして、その条件も破格でした。
その結果、36年間に渡り、朝鮮半島は日本でした。
36年間、朝鮮人は、日本人だったのです。
ちなみに併合直後の1911年の朝鮮の予算は3,565万円で、朝鮮国内からの税収は1,330万円です。
足らない分は
すべて日本本土からの税金で補充しています。
こういう状態が36年間続いています。
一度たりとも朝鮮国内からの税収が予算を上回った
ことはありませんでした。
南朝鮮は、ことあるごとに日本が「奪った」というの
ですが、36年間与え続けていたの間違いというのが
現実です。
それどころか日本の初代総理大臣である伊藤博文
が朝鮮人テロリストによって暗殺されています。
どちらが「奪った」のか教えてあげたいくらいです。
ちなみに朝鮮には、産業と呼べるものが何一つ
ありませんでした。
輸出品は唯一女性だけでした。
鉱山は外国に売り渡していましたし(日本が買い戻した)、国の外交権すら売ろうとして日本に止められている
状態の国でした。
朝鮮は、世界最貧国の一つであり、欧米諸国からは
植民地としての対象からも外れていました。
日本はわざわざそんな国を併合する
必要などなかったのです。
台湾やパラオなどの他の国同様に植民地という
扱いで良かったのにも関わらず、頼まれて併合した
のです。
国防の為という理由も言われていますが
日清戦争、日露戦争と、日本は朝鮮半島に堂々と
兵を進めています。
そして、朝鮮人の名前だと満州で商売が出来ない
からと、日本人の名前を名乗ることを許可まで
しています。
どこの世界に、植民地の民族に自国と同じ名前を
名乗らせる国があるのでしょうか。
あったら聞いてみたいものです。
日本は、朝鮮人を日本人と同じに扱ったから
すべての権利を与えたのです。
それが、今では南朝鮮人から名前を奪ったと
言われています。
ここまで来るとあきれて者が
言えなくなるのですが
やっかいなことに、その嘘を世界に
まき散らしています。
日本人は放っておけば、真実はいつか伝わると
思っている人が多いと思います。
しかし、世界は植民地に対して言葉では言い尽く
せない程酷いことをしてきたという実績があります。
そして、世界に名を馳せていた大日本帝国が
世界最貧民国の一つである大韓帝国と併合する
ということが中々伝わらず、どうしても朝鮮を
植民地扱いしたという先入観が勝ってしまいます。
なので、世界は日本も南朝鮮に酷いことをしたという嘘を
簡単に信じてしまう土台をもっているのです。
何一つ証拠がないにも関わらずです。