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朝日新聞の裏側!日本をダメにする諸悪の根源とは?ニダーwww

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   共産主義が日本を崩壊させる

           民族の生死を分ける真実の陰謀

混迷の日本

 

明治維新、第二次世界大戦、そして戦後の復興を経て

今現在、日本という国はまるでセミの抜け殻になってしまった

かのようである。

そんな今こそ、数々の国難を乗り越えてきたはずの日本人

の原動力はどこにあったのか。

そして何が日本を経済大国にし、何が日本民族を守ってきた

のかを考えなければならない。

 

その答えはあまりにも身近なところにある。

しかし、その核心部分については最後に触れることにしょう。

まずは、日本をダメにしようとしている巨大組織について

明確に示す。

 

精神至上主義を捨てさせられた日本人

 

日本は戦前戦中の精神至上主義から、足場を科学という

世界に置き代えた。

それが今日の発展をもたらしたことは論を待たない。

だが、人文科学、自然科学、社会科学というそれぞれの

分野において、日本という国における「社会科学」の貧困

感じるのは筆者1人ではあるまい。

 

仮にその他の科学やテクノロジーが発達したとしても

それが社会全体の進化と豊かさにつながっていなくては

何もならない。

 

そもそも社会科学(しゃかいかがく、英: social science)とは

「自然と対比された社会についての科学的な認識活動および

その活動によって生み出された知識の体系である。

人間の社会の様々な面を科学的に探求する学術分野の総体」

である。

 

そのような観点から、疑問に思うことがある。

今日の混迷した国会のあり様、そして国ぶりに鑑みるに

本当に「社会科学」が真摯に探求されているのだろうか

という疑問である。

 

ズバリ我々日本人は「共産党(共産主義)」のことを知らなすぎる。それこそが、現在の日本の衰退を招いていることに気がつかなければならない。

 

資本主義社会の矛盾を科学的に追求するとして

「科学的社会主義」を党是としている日本共産党だが

その実態は「科学」ではなく「暴力」で社会主義社会を

実現しようとしているのだ。

 

しかし、それを隠すために「科学」という言葉を使っている。

こうした言葉のすり替えにより、彼らがその凶暴な姿を隠ぺい

していることに気が付かなければならない。

 

「暴力」を「科学」だと言って憚らぬ政党が、暴力的体質を

隠したまま存続しているのが日本という国なのだ。

詳しく説明していこう。

 

巧妙なすり替えと共産主義歴史

 

日本共産党は1922(大正11)年に「共産主義インターナショナル」(通称コミンテルン)日本支部として結成された。

これは、ロシア革命を成功させた後、「世界同時革命」を計画

していたトロツキーらによって「革命の輸出」としてもたらされた

ものだった。

 

もちろん、基本理念は旧ソ連と同じく、共産主義革命に反対

する者すべてを「人民の敵」「反動勢力」とみなして弾圧する

という「プロレタリアート独裁・暴力革命論・階級国」の

“3理念”を掲げたものだった。

 

これは共産党を否定する者すべてを排除する「共産党独裁」

を意味するもので、旧ソ連聖職者や非共産主義者が差別

強制労働、投獄、殺害等、あらゆる残虐方法で抹殺された

事実を考えればその恐ろしさがわかるはずだ。

だが、当時の貧しい日本人にはこの理念が響いてしまった。

 

意外にも共産党が36議席を取るなど国民の支持を得たのである。

これについて当時のアメリカは、社会実験として日本でどのように共産主義が根付くかをモニタリングしていた立場から

大変興味深く日本をみていたという。

 

そして1951(昭和26)年

日本共産党は「日本の解放と民主的変革を、平和の手段に

よって達成しうると考えるのはまちがいである」とする

「51年綱領」が決定され

 

われわれは、武装の準備と行動を開始しなければならない

と暴力を全面肯定する方針を打ち立てる。

 

続く1952(昭和27)年、共産党による大規模かく乱騒動

「血のメーデー」「吹田事件」「新宿駅事件」「大須騒擾事件」

と続き、勢いをつけるかのようにみられたが、多数の死者

出すなどして国民から反感を買い、大幅に議席を減らす。

そして1958年、立場が危うくなった共産党は方針転換を

行うことを決断。

 

しかし、方向転換は表向きだけで、腹の内は違った

「まだ革命の時期ではない。だから、ここは国民の支持を

得るために本性を隠しておこう」そう考えていたのだ。

 

ここで誕生したのがかの有名な「微笑戦術」である。

 

耳障りのいいことだけを国民に伝えて騙し

その裏では

暴力による革命を推し進める戦法だ。

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共産党はこれまでとうって変わって「暴力」「独裁」「革命」

など奇抜なワードの使用を控えてクリーンなイメージを

強く推し出し、今に至る

 

しかし、暴力革命・プロレタリアート独裁といった

「3つの基本理念」は崩していない。

 

2015年、共産党は自民党政権の打倒のため、民主党(当時)

維新の党(当時)、社民党、生活の党(当時)と連立するという

「連立政権構想」を掲げたが、これについて公安調査庁は

「55 年前 の政府構想の焼き直し」と評し、「革命政党」である

ことに変わりはないとしている

いまだ日本共産党は「流血を伴う暴力革命」を計画しているのだ。


純粋な共産党が残った最後の国「日本」

 

旧ソ連や支那をみればわかるとおり、共産主義国家は

結局のところ社会主義国や独裁国家にしかなれずに終焉し

資本主義へと向かっている。

 

つまり共産主義は世界の誰もが認める“終わった思想“なのだ。

にもかかわらずいまだ純粋な共産党が国政に影響を与える

最後の国――それが日本なのだ。

 

当然、かつては一番進んだ社会科学と言われた。だが

当初から社会の上層部と下層部をひっくり返しただけ、と

喝破したバートランド・ラッセルなどもいる。結局はそういう

ことだったのだ。

 

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一神教の「共産主義」が多神教の

「日本」を潰しにかかっている

 

日本に残った共産主義はもはや地球最後の「共産主義一神教」

といってもいいだろう。

ここで忘れてはいけないのが、西洋文明の究極の教義が

「一神教」にあることである。その「一神教」が「多神教」国家

である日本とぶつかっているのだ。石原莞爾が『最終戦論』

予言した中身がそこにあるとしたら。

すなわち、「一神教」と「多神教」の戦いが、最後の最後に

起こるということである。

 

そこに天皇家が関心を持たないはずがない。

特に皇后陛下である。共産党が政権を取ることの危険を

結婚前から皇后陛下は知っていたといわれている。

 

 共産主義の主張は、旧来の支配体制をひっくり返すことにある。そう、彼らの目的は最終的に天皇制を転覆させることにある。象徴天皇にもかかわらず、「天皇が支配の側にいる」という大いなる勘違いの元に、転覆を試みているのだ。

 

フリーメイソンも絡む、西洋文明の押し付け

 

その流れは実は

明治以降から始まり、大正期以降より顕著になった。

カール・マルクスがフリーメイソンだったことや、ロシア革命の

裏にメイソンの工作があったことは常識として認識されている

話だが、共産党の活動家として日本共産党スパイ査問事件

などで殺人の罪にも問われた男・宮本顕治を裏で支えたのは

同じくメイソンであるダグラス・マッカーサー率いるGHQである。

 

また、徳田球一や志賀義雄など戦後の日本共産党幹部を

府中刑務所から釈放したのもGHQ。西洋文化である「共産主義」は、東洋文明のエッセンスを踏みにじろうと、今に至るまで画策しているのだ。

 

東洋文明を踏みにじるために共産党は日本の政治をかく乱し

自民党はすっかり「言葉のすり替え」という彼らの作戦に翻弄

されている。

そうした詐術により、何食わぬ顔で国政に入り込んでいくのが

コミンテルンのやり方である。

 

考えてもみてほしい。

天皇は本当に日本を支配しようとしているのだろうか。

天皇家は、自分達が生き残るため旧来体制の維持に躍起に

なっているのだろうか。

それはありえない。

 

日本国憲法第一条に「天皇は、日本国の象徴であり

日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する

日本国民の総意に基く」とある。

 

つまり、そもそも支配とは無縁の立場にあるのである。

今上天皇自らも82歳の誕生日において、全ての活動は

世界の平和のためであり、痛ましい戦争は認めないと

言っている。

 

しかし、戦争も暴力も未だ放棄していない存在。

それが日本共産党である。

『最終戦論』の意味はそこにある。

 

安倍内閣は誰と戦っているのか

 

共産主義の問題に悩まされているのは日本だけではない。

西洋文明の象徴である米国こそ、“共産主義=一神教”の権化

である。

 

日本共産党の志位和夫が米国独立記念日のレセプションに

顔を出す理由もここにある。

 

肩をもつわけではないが、そうした全体像が見えてくると

安倍首相の動きにも整合性が出てくる。

 

つまり、安倍は一体誰と戦っているのかということである。

恐らくそれは、岸元首相も同じであったろう。なぜなら

あまり知られていないが、「こそ、多神教を主軸として

日本と満州、朝鮮半島を一気通貫でつなぐ本命の一族

だからである。

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田布施システム

岸信介や佐藤栄作……岸一族の出身は、歴代首相を生み

出す地として有名な山口県の田布施町である。

陰謀論的には「田布施システム」とも言われるが、そこに

根拠がないわけではない。

 

岸一族は後醍醐天皇第十子の家系であり、国を代表する

遺伝子は確かに田布施にあった。

しかし、明治時代この既成の権力構造に共産勢力が紛れ込む

 

その張本人が、後に虎ノ門事件で摂政宮を暗殺しようとした

極左テロリストの難波八助で、彼によって田布施に第二の権力

系統が作られた。

 

一言で田布施といっても、岸一族と難波の二つの流れがある

ことを知らないと、共産党の真の姿は見えてこないのだ。

 

同じく田布施出身の共産党幹部・宮本顕治はスパイ査問事件で

人を殺しているが、この人物も難波の系統である。

そこに同じく山口県出身のソビエト連邦時代のスパイである

野坂参三が合流してきたのだ。

 

彼らのやり方は決まって言葉のすり替えと、本性を隠すこと

である。

 

日本共産党では1951年に武装闘争路線が採用された。

しかし1955年には自己批判により、その路線をひっくり返す。

「権力が暴力で革命運動を抑圧しない限り、革命運動も暴力

を行使しない」というわけである。

その分派が中核や革マルとなった。

 

ヘーゲルの弁証法よろしく彼らは必ず「二正面作戦」を

用いるのだ。

ある意味、この共産主義者の二枚舌に、最の政治力があるといってもいい。

 

実は日本でテロが起きない理由もそこにある。

共産党の暴力的体質があらわになることを

避けているのだ。

 

現在彼らが何を考えているか? それは、暴力を出さないこと

で世間を「無神論」という名の一神教に持っていくことである。

「科学」を前面に出すのも無神論へと向かうためだ。

 

哲学者のバートランド・ラッセルが指摘した通り、科学的に

するということは、無神論国家にするということである。

共産主義の下地づくりの肝はそこにあるのだ。

 

赤報隊という手段

 

日本人のほとんどは、50年代の危うさを知らないであろう。

その点、公安はしっかり教育されていたことを断言しよう。

国防の最先端として、国を守るミッションとして、我々は

共産主義者たちの狡猾さと恐ろしさを教育させられた。

だが、実際には、明治以降百数十年の間、彼らの手口にまんまと翻弄されてきたのだ。

 

しかし、ほとんどの日本人はそうした事実を知らないうえ

教育も受けていない。

ネットにもなかなか出てこない。

だから知りようがない。

したがって、いわば革命を言論によってサポートしている

朝日新聞社が業界2位の販売部数を誇っているのである

ソ連の共産主義者リヒャルト・ゾルゲが主導する

「ゾルゲ諜報団」に参加し、スパイとして朝日新聞社に

潜り込んでいた尾崎秀実はその最たる例だ。

 

今の朝日の社員はほとんど知らないかもしれないが、実態は

メディアをも平気で巻き込み、裏の意図を隠しながら国民の

目を欺いている組織が裏にあるのだ。

 

赤報隊事件をご存知だろうか。

1987年から1990年にかけて、反日世論を育成してきた

朝日新聞には厳罰を加えなければならないとして「赤報隊」

を名乗る犯人が起こしたテロ事件である。この事件で

朝日新聞の記者二名が死傷した。

既に時効を迎え、犯人は未だ捕まっていない。

 

この事件でわかることは、朝日が売国会社であることを

見抜き、攻撃した右翼がいるということである。

今もどこかに身を潜めているかもしれない。

 

なぜなら、日本という国の存亡に関わる問題だからである。

「赤心を持って国恩に報いる」人間がいてもおかしくない。

 

日本を守るということ

 

安倍政権は正しいのか? 

それも違う。

アベノミクスは失敗に終わり、国民は安倍がもたらした多大な

負債によって、犠牲を払わなければならなくなるだろう。

 

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資本主義も一神教も世界で通用しなくなってきている今

我々がやらなければならないのは「資本主義を超えるシステム」を構築することではないだろうか?

 

では、どのようにして資本主義を超えていくのか。その手段は

「主義」にはない。

何々主義という一神教の世界にその答えはないのであ。

 

特定の主義は偏りを生み、偏りは感情を生む。

感情が張り付いた状態ではまともな“科学”を生まないのだ。

 

共産主義の大いなる矛盾に気づかれたはずである。

つまり、自らが科学を標榜する立場でありながら、科学的な

態度に最も必要な客観視が欠けているということである。

だが、彼らは巧妙に「暴力」を「科学」という言葉をすり替えて

「科学」前面に出してくる。こうして、戦前から戦後の現代まで、しぶとく生き延びてきのだ。

 

「果たして、数々の国難を乗り越えてきた

日本人の原動力

どこにあったのか。

何が日本を経済大国にし、何が日本民族を守ってきたのだろうか」

 

その答えは、実は多神教の中で文化を生み出してきた

日本人の科学的な態度にある。

真に科学的であるとは客観性を意味し、再現性があり

万人に認められるものをいう。

 

日本人は西洋の真似をする必要はないのだ。

もっと自らの心を信じて、本当の意味における「社会科学」を

探求するべきなのである。

 

日本人が宿す客観的科学性の中にこそ、22世紀を切り開く

元が隠されているかもしれないのだから。

 

我々日本民族の生死がかかっている。

命がけで取り組む時がやってきた。

 

共産党の真実――日本共産党が内に隠している

その姿とは? 

長年「共産党」を追い続けた元公安警察が裏事情を暴露する。


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