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世界最大の戦艦・戦艦大和

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大和 (戦艦)

大和
(やまと)とは
大日本帝国海軍が建造した史上最大の戦艦、大和型戦艦の一番艦であった。

大東亜戦争開戦直後の1941年(昭和16年)12月16日に就役し
1942年(昭和17年)2月12日に連合艦隊旗艦となった。

この任は司令部設備に改良が施された同型艦「武蔵」がトラック島に進出
する1943年(昭和18年)2月まで継続した。

1945年(昭和20年)4月7日、天一号作戦において米軍機動部隊の猛攻撃を
受け、坊ノ岬沖で撃沈された。

当時の日本の最高技術を結集し建造され、戦艦として史上最大の排水量に
史上最大の46cm主砲3基9門を備え、防御面でも重要区画(バイタルパート)
では対46cm砲防御を施した、桁外れの戦艦であった。

建造期間の短縮、作業の高効率化を目指し採用されたブロック工法は
大成功を納め、この大和型建造のための技術・効率的な生産管理は
戦後の日本工業の礎となり重要な意味をなす。

艦名「大和」は、旧国名の大和国に由来する。

日本の中心地として日本の代名詞ともなっている大和を冠されたことに
本艦にかかった期待の度合いが見て取れる。

同様の名称として扶桑型戦艦がある。

正式な呼称は“軍艦大和”。沈没してから半世紀以上が経過したが
本艦を題材とした映画やアニメが度々作られるなど、日本人に大きな影響を
与え続けている。

その存在が最高軍事機密であったうえ、戦争が始まってから完成したために
その姿をとらえた写真は非常に少なく、1941年(昭和16年)10月30日に撮影された
豊後水道で公試運転する勇姿」がもっとも有名である。


最終時の大和。米側資料で、最新の研究考証に準じているが、一番砲塔脇と
砲塔上の機銃形状が日本側考証と異なる。
日本が建造した世界最大の戦艦・大和は大戦末期沖縄沖で撃沈され
ていますがその大和の模型が日本の博物館に現在展示されています。

忠実に再現された大和の模型から世界最大の戦艦・大和がどんな
戦艦だったのか

詳しく見ていきましょう。

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大和型戦艦

艦級概観
艦種戦艦
艦名旧国名
前型長門型戦艦
次型改大和型戦艦及び超大和型戦艦(共に建造中止)
同型艦大和、武蔵、信濃(空母に改装)、111号艦
竣工1941年12月16日(大和)
1942年8月5日(武蔵)
1944年11月19日(信濃)
開戦後建造中止、解体(111号艦)
1945年4月7日(大和)
1944年10月24日(武蔵)
1944年11月29日(信濃)

性能諸元(計画値)
排水量基準:64,000t
公試:68,200t
満載:71,100t
全長263.0m
全幅38.9m
平均喫水10.4m(公試状態)
主缶ロ号艦本専焼式12基
主機艦本式タービン4基4軸150,000馬力
速力27.0ノット(約50km/h)
航続距離16ノット(29km/h)で7,200浬(13370km)
乗員約2,500名
兵装45口径46cm3連装砲 3基
60口径15.5cm3連装砲4基
40口径12.7cm連装高角砲6基
25mm3連装機銃 8基
13mm連装機銃 2基
カタパルト 2基
零式水上偵察機・零式水上観測機他、最大7機
(数値はいずれも竣工時)
装甲舷側 410mm
甲鈑 230mm
主砲防盾 650mm
(数値はいずれも最大)

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