人体実験だった
広島・長崎の原爆
米国の狙いは、実際に原爆を使用することによって
核実験だけでは得られない、その効果を検証することで
あった。
”被爆者を「治療」せず「実験動物」のように「観察」”
第一に、原爆の惨状についての報道を禁止し
「人体実験」についての情報を独占することだった。
第二に、史上前例のない恐ろしい火傷、放射能障害の
治療方法を必死に工夫していた広島・長崎の医者たち
に治療方法の発表と交流を禁止するとともに
死没被爆者のケロイドの皮膚や臓器や生存被爆者の
血液やカルテを没収することだった。
第三に、日本政府をして国際赤十字からの医薬品の
支援申し出を拒否させることだった。
たしかに「実験動物」を治療するのでは「実験」
にならない。
そこで、米軍は全力を尽くして被爆者の治療を
妨害したのである。
第四に、被爆者を「治療」せず「実験動物」のように
「観察」するABCC(「原爆傷害調査委員会」と訳された
米軍施設)を広島・長崎に設置することだった。
加害者が被害者を「調査」するというその目的自体が
被爆者への人権蹂躙ではなかったか。
原爆の投下候補地は、
①直径3マイルを超える都市
②爆風により効果的に破壊できる地形を持つ都市
③8月までに通常爆弾による爆撃を実施していない都市
だった。
つまり、正確に原子爆弾の威力を測定するため
通常爆弾との被害の違いを区別できることが
必要条件であったのだ。
忌まわしい原爆投下においては
日本側の関与もあったともいわれています
日米の合意に基づく人体実験であったという話がある。
広島・長崎では出来るだけ多くの兵士(3万人)や
児童・学生(1万5千人)等の被験者を意図的に集めて
行われた、米国のスティムソン陸軍長官主導で
日本のトップが協力した一大イベント、人体核実験だった。
世界のウラン鉱山のほぼ全てを独占する
ロスチャイルド財閥と配下の軍需産業関連会社(死の商人)
は、第二次大戦後予定されていた米ソ二大国間の(八百長)
冷戦による核軍拡競争と原子力産業によって上がる
莫大な利益のため、どうしても核の脅威を世界に示す
必要があった。
なぜ長崎に原爆が投下されたのか?
原爆ホロコースト:長崎さんより抜粋
長崎港にある二つの連合軍兵士捕虜収容所には
およそ千人が収容されていた
日本軍は収容所の一つを三菱の巨大な兵器製造所の
真ん中に設置し、もう一つを長崎港の入り口に設置した。
上陸部隊が進攻する際には、砲撃を避けられない
場所である。
原子爆弾で
捕虜の指揮官をしていたキック・アールダー中尉
(ジャワ、バンドン出身)を含む七人のオランダ人と
イギリス人一人が死んだ。
この文章で不思議に思わなかったであろうか。
長崎港に千人いた捕虜のうちで死亡したのは
たったの八人であった。
しかもアメリカ兵は一人も死んでいない。
「日本軍は収容所の一つを三菱の巨大な兵器製造所の
真ん中に設置」していたのである。
ウェラーは「長崎の医療センターは、三菱の魚雷
ディーゼルエンジン製造工場や、造船所をなぎ払った
同じ爆風で、ほとんどの職員もろとも根こそぎ破壊
されてしまった」と書いている。
また、彼は
「二万一〇〇〇人が死亡したが、これは原子爆弾の
放射線が致死的であるのではなく、上空を飛ぶ
アメリカ機がはっきりと見えているのに、市民が出されて
いた警報を無視して防空壕に入らなかったのが
原因と言える。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
三菱の工場で死んだ人たちも、工場群のまっただ中に
収容所があった連合国軍人の捕虜たちを含めて
上空に敵機がいるにもかかわらず三菱が仕事を
続けるよう命じたがために死んだ」と記している
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
(省略)
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
小倉でなく長崎に拘る理由の一つは
戦後に朝鮮で戦争を計画していることだ。
ホプキンスがニカ月前にスターリンと会見した。
このときに、スターリンは朝鮮半島を南北に分断する
ことに同意した。
私は駐ソ大使アヴェレル・ハリマンとポツダムで
朝鮮半島問題について話し合った。
マーシャル将軍も賛成していることなのだ。
それは、絶対に秘密にしてくれ・・・。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
第二次大戦が(ヨーロッパで)終わった今でさえ
兵士たちは就職難だ。
あと数日でこの太平洋戦争も終結する。
戦争がつくった大事業がすべてなくなる。
分かるか?私はバーンズを追っ払い、マーシャルを
国務長官にするように工作しろとハリマンに言った。
マーシャルなら、俺たちの言いなりだ。
すでに、朝鮮半島に内乱を起こしつつあるのだ。
ここを戦場にもっていけば、アメリカは
救われるだろう。
福岡、八幡、下関は
その戦争の後方基地となる。
天皇には私たちから、そういう場合は協力してくれと
申し上げている。
彼は協力すると答えたのだ>。
福岡と八幡は特に重要だ。
私は福岡県と隣接する大分県別府市に
一発の爆弾も落とすなと、ルメイ少将に命じたのを
お前も知っていよう。
朝鮮戦争のための慰安基地として、別府ほどに
理想的な土地はないのだ。
いいか、これも秘密だ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
もう一つ
長崎でなければならない理由がある。
ローマ・カトリックはヒトラーの残党たちを南アメリカに
逃している。
日本の真珠湾奇襲と同じパターンだよ。
「日本のローマ」である長崎の浦上に原爆を落とし
ローマ・カトリックに意趣返しをすることになっているんだ。
ローマ法王を震えあがらせ
俺たちが育てた「オプス・デイ」を内部に
入れて、やがてローマ・カトリック
を乗っ取るためなのだ。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
さあグローブス将軍、君の名誉は守られる。
君はあと十数日で、アメリカで永遠の名のつく
英雄の一人となる。
何も心配することはない。スパーツにすぐに返電しろ。
心配するなとスパーツに言ってやれ。
スパーツから具体的な内容の電報が入ってこよう。
すぐに私のもとへ持ってこい。
戦後、君はしばらく原爆関係の仕事をやれ。
そして、モルガンの会社の重役になるよう私が手配し
ている。
英雄・グローブス将軍よ、いよいよ最後の時がきた。
何ら迷うことなく、ベストを尽くせ。
-->このスティムソンとグローブス将軍の会話の
後の出来事を『エノラ・ゲイ』は次のように書いている。
その間にスパーツは、もう一本の極秘電をハンディに
送っていた。
それはこういう電文であった。
「捕虜より得たる報告によれば『センターボード』の
目標五都市のうち、連合軍捕虜収容所なきは広島のみ。
返待つ」
ハンディは
グローブズと簡単に電話で打ち合わせてから返電を
書いた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
グローブズは
陸軍長官が捕虜の件でかれこれ言わなかったので
ほっとしていた。
スパーツヘの返電は次のとおりであった。
「もし貴官の情報が確かと信ずれば、広島を最優先せよ」
スパーツには自分の得た情報が信頼できないと考える
理由はなかった。
こうして広島が
目標のリストのトップに置かれることに
なった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
この『エノラ・ゲイ』の中に
原爆投下によりもたらされるであろう被害について
マーシャル参謀総長に提出した報告書が出ている。
スパーツからの至急電報の少し前のある日のこと
である。
甚大なる被害が出ることは次第にロスアラモスの
研究所長オッペンハイマー博士によって報告されていた。
間違いなく、オッペンハイマーの報告書であろう。
さすがのグローブスでさえも
「スパーツの質問は答えやすい質問ではなかった」
と認めざるをえなかった。
彼は原爆の生産計画を知らせた参謀総長マーシャル
将軍への先日の報告のなかで、原爆爆発の付近に
いる人々すべての運命がどうなるかを鮮かに
描き出していた。