朴槿恵は7日、人文・文化界の関係者13人を青瓦台に招いて昼食を共にし
現政権が目指す「文化隆盛」の方向性や人文学の活性化などについて
意見を聴取した。
朴はその席で「小さな国が数々の侵略を受けながらも粘り強く5000年の
歴史を築けたのは、人文学的な文化の力によるもの。
根本的な私たちの魂を形作っている歴史について
『誰が正しい、間違っている』という風に分裂し始めれば、どんな努力を
しても国民統合は実現できない」と指摘した。
柳宗鎬(ユ・ジョンホ)延世大学碩座(せきざ)教授(寄付金によって研究
活動を行えるよう大学の指定を受けた教授)は
「国際通貨基金(IMF)の救済金融を受けて以降、人文学のステータス
が低下した。
朝鮮社会では近ごろ言葉による暴力などが横行し、 社会の質が大きく
低下したと感じざるを得ない」と語った。
(^∇^) いえっ5000年前頃から変わらないしぃ・・・・(^∇^)
李時炯(イ・シヒョン)韓国自然医学総合研究院長も「保育園で(子ども
たちを)たたいている様子がテレビで報じられ母親たちが心配している。
私たちはこの間、非常に気性が荒くなった。
(*^▽^*) ぜんぜん昔から進歩してないしぃo(〃^▽^〃)o
『大人、子どもの区別なく正しい文化を定着させよう』というのをセマウル
運動(地域開発運動)の新たな形態として発展させていくべきでは」と
指摘した。
小説家の朴範信(パク・ポムシン)は「社会的な葛藤を解消できるの
は歴史と文化だけ。
最高レベルの文化芸術を身近な場所で感じることができれば、国民の
気性が荒くなるようなことはない」との考えを示した。
ソン・スンチョル江原道大史学科教授は「朝鮮王朝時代の500年間朝鮮
通信使が日本を往来し、戦争の時期を除けば非常に平和だった。
☝矢印 鶏を盗む 通信使 野蛮人☟
通信使は必ず音楽を演奏する楽工や文化・歴史・哲学の大家を伴って
おり日本人の好戦的で偏狭な部分を音楽や人文学で純化し変化を
もたらした」と述べた。
梨花女子大デジタルメディア学部の教授を務める小説家の
イ・インファは「工科大学で人文融合課題に取り組んできたが、成果
評価の基準そのものが技術開発に合わせられており、人文融合が
拡大する余地がほとんどない。
毎年12兆ウォン(約1兆400億円)を投じている(政府の)研究開発
(R&D)事業を需要者中心にシフトし、生活の質をどれだけ高めたか
を評価する基準を整えるべきだ」と指摘した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130808-00001283-chosun-kr
朝鮮通信使
(ちょうせんつうしんし)とは
室町時代から江戸時代にかけて李氏朝鮮より日本へ派遣された
外交使節団である。
朝鮮通信使は主として将軍家を祝賀するためにやってきた国使であり
中国皇帝に対する朝貢使節と同様の役割、すなわち将軍の権威の誇示に
利用された。
同時に鎖国を国是としていた当時の日本において、間接的にではあっても
中国文化に触れることのできる数少ない機会でもあった。
実際の歴史での通信使は
朝鮮は儒教の国であり、科挙を経てきた官僚である通信使達は高い儒教の
教養を持っていた。
藤原惺窩や林羅山をはじめとした日本の儒学者は通信使と交流を持ち、日朝
相互に儒学者の書籍が紹介された。
しかし朝鮮では朱子学、とくに性理学が国教的存在であり、異説を認めない
立場が極めて強固であった。
一方で日本において儒学の制限はほとんど存在せず、独自に説を発展させる
余地が大きかった。
このため朝鮮に紹介された伊藤仁斎や荻生徂徠、太宰春台の説は批判され
通信使達も旧来の朱子学説を固守する傾向が強かった。
この両者のギャップは次第に広がり、後期には日本の学者が
「やっと宋儒(朱子学者)が固陋であることを知った。
今、貴国ではもっぱら宋学(朱子学)を主張するので、何も問うものがない」
と告げるほどであった。
一方で朝鮮の主流ではない実学の立場からは、日本の儒学を評価する
動きもあった。
通信使一行の行列見物は庶民にとって大きな娯楽であった反面、通信使の
往来路であると否とにかかわらず、武蔵・相模以西の東海道・畿内・西国の
農民には労役の提供や費用の負担が求められ、通信使の来朝は農民達に
とっては臨時に重い負担を強いられるものでもあった。
そして、文化の違いや日本人に対する侮りから、通信使一行の中には
屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり小便を階段でする、酒を飲みすぎたり門や
柱を掘り出す、席や屏風を割る、馬を走らせて死に至らしめる、供された
食事に難癖をつける、夜具や食器を盗む、日本人下女を孕ませる魚なら
大きいものを、野菜ならば季節外れのものを要求したり、予定外の行動を
希望して拒絶した随行の対馬藩の者に唾を吐きかけたりといった乱暴狼藉を
働くものもあった。
警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることはしばしばあり、1764年
(宝暦14年)には大阪の客館で、対馬藩の通詞・鈴木伝蔵が杖で打ち据えられ
通信使一行の都訓導・崔天崇を夜中に槍を使って刺殺するという事件
まで起こっている。
これは朝鮮の下級役人が鏡を紛失したと聞いた崔天崇が「日本人は盗みが
上手い。」
と言ったのを鈴木伝蔵が聞きとがめ、かねてよりの朝鮮人の窃盗行為を
非難したのが発端であった。
江戸時代後期の儒学者菅茶山は「朝鮮より礼儀なるはなしと書中に見えた
れど、今時の朝鮮人威儀なき事甚し。」と、朝鮮人が伝聞とは異なり無作法
なことに驚いている。
友好使節のはずの朝鮮通信使が、当時の朝鮮人と日本人の間の文化の
違いからかえって偏見を生み、のちの征韓論や併合に繋がったとする考え
がある。
当時の日本人には朝鮮人の肉食文化が野蛮なものに見えたことが原因で
あるとし、その根拠として
『画図入(えずいり)朝鮮来聘記全』内の狂詩における「通信使が寺の中に
魚や肉を持ち込んで食い散らかしている」という表現、及び淀藩の資料
『朝鮮人来聘記』内の朝鮮聘礼使淀城着来図の絵に描かれたうちの一部
(右図)を「通信使一行が町人の飼っている鶏を盗んで逃げようとし、日本人と
喧嘩になっている」様子だとしたうえで挙げている。
また『朝鮮人来聘記』や『朝鮮人来朝記』といった当時の資料に、三韓征伐や
秀吉の朝鮮出兵を持ち出して朝鮮通信使を朝貢使節と見なそうとしている
記述があることも併せて論拠としている。
その一方、基本的に日本人を「倭人」として見下しながらも古く室町には
平仮名、片仮名と言った固有文字の存在に、江戸時代には京都、大阪、江戸
といった都市の絢爛豪華さに驚いた。
1420年の回礼使である宋希景は乞食が食物ではなく銭を欲しがるような
貨幣経済の発達に対して驚きの声を上げた(その時の李氏朝鮮では
都市部で楮貨という紙幣が流通していた程度で、貨幣経済と呼ぶに足る
ものが成立しておらず、布・米を媒体とした物々交換が主であったため)
といった記録が残っており、また、朝鮮で後に飢饉を救ったサツマイモ
(宝暦度 1764年(宝暦14年))や揚水式水車など、日本から相応の文物を
持ち帰っていたようである。
窃盗・強姦・パクリ・不作法今となんら
変わらんな・・・・進歩しない民族だ
特に歴代の朝鮮通信使は日本の揚水式水車に興味を示し、幾度もその
構造を絵図面に写して自国に持ち帰ったものの、その後に李氏朝鮮でこの
種の水車が用いられたという歴史がないことから実現はしなかったようである。
ただしこのような事実は、現在の韓国の歴史認識と背反しているため
韓国側では日本側による捏造・歪曲とされることが多い。
またこのような史実を日本側が主張することで
韓国側に反発が起こることも多い。
当時の朝鮮通信使が書いた『日東壮遊歌』等の道中記に
進んだ文化と社会体制を営んでいる日本への嫉妬と羨望が描写されていたり
当時の日本の社会や文化の発展の様子を鑑みれば、朝鮮の歴史教科書の
記述は史実と相当の相違があるといえる。
また、日本の学者等によって、上述のような朝鮮の歴史教科書の歴史的事実
を誇張・歪曲した「文化先進国の朝鮮と文化劣等国の日本」という自民族優越
主義的な記述が、朝鮮社会に蔓延する「韓国起源説」の温床になっていると
批判されている。
また、朝鮮人や在日が四天王寺ワッソ等の朝鮮通信使を再現する
パレードを日本各地で主催する行為には、「歴史的な文化先進国の朝鮮と
文化劣等国の日本」という歴史認識を日本に広める意図が込められていると
指摘する識者もいる。
・・・・・・・・・。
『銀魂』出演を決意・・・
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