靖国神社問題を
分かりやすく整理してみる
何かと話題になる靖国神社について
何が問題なのか?
そもそも靖国神社とは何なのかよくわからないと
いう声があります。
そこで一神主の立場から語ってみます。
靖国神社はいつできたのか
明治二年(1869)に明治天皇の思し召しによって
創建されました。
そして明治十二年に靖国神社に改称され、別格官幣社
となりました。
神社は国家の宗祠ということで靖国神社も国家管理されて
いましたが、第二次世界大戦後、GHQの命令により
一宗教法人となりました。
靖国神社のご祭神は
明治維新の際の殉難者と明治以降の戦争において
戦い没した御霊がお祀りされていています。
その数約246万6千柱。
基本的には軍人をお祀りするものですが
その他軍属(軍隊に所属しているが軍人ではない人
例えば通訳や従軍僧侶など)、一緒に戦ってなくなった官吏
警官、民間人などもお祀りされています。
女性もいます。
看護婦やひめゆり部隊などです。
朝鮮人、台湾人についても日本人として軍隊で戦った人
や軍属として働いて戦没した人たちがお祀りされています。
反対に全くお祀りされていないのは自衛官です。
これは第二次大戦までの死者に限定
しているからです。
合祀の基準はだいたいのものはありますが
はっきりと線引きをされているわけではありません。
「正規の軍人が、戦争中に、戦闘行為に置いて
はっきりとわかる形で、戦死した」というのなら確実ですが
現実にはそうでないことが多々あります。
なぜ神道式なのか
日本人の死者に対するお祀りは仏式なのになぜ
靖国神社という形で神式なのか、と疑問に思われる方
がいるかもしれません。
明治維新の原動力には黒船がやってきた以降の外国の
脅威に対抗しなければならないという危機感に加え
尊皇思想の広まりということがありました。
そこで神道に対する関心が非常に高まっていたのです。
皇室のご先祖のお祀りも江戸時代は仏式で行って
きましたが、明治維新の際に神道式に切り替えられました。
その流れで国家祭祀として靖国神社という神式で行うこと
になりました。
神道における死後の世界
出雲大社のご祭神である大国主大神は
幽冥(かくりよ)つまり死後の世界の神さまでもあるので
出雲大社/出雲大社教では
神式の葬儀や先祖のお祀りを熱心に行っています。
そこでここは筆者がもっとも熱心に主張したい話ですが
人間は死後、霊魂は幽冥に行きそこで神となって
子孫を見守る、というのが基本的な神道の考え方です。
そして現世の子孫が熱心にお祀りをすることで
ご先祖様は幽世で楽しく暮らすことが出来、また
それによって神としての力を増すことになり
現世の子孫をさらに護ることになります。
気づかれたかと思いますが
これは日本の仏式の先祖供養の考え方と同じものです。
仏教思想によるものではなく、仏教伝来以前からの
日本人の思想なのでしょう。
日本人の思想で言うともう一つ大事なのが
「不幸な死に方をした御霊は通常より手厚くお祀り
しなければならない」ということです。
これはそのような御霊がお祀りをされないと
荒ぶ霊となって現世に災いを及ぼす、ということ
もありますし
また、
あの世では幸せに暮らして欲しいという人々の素直な
気持ちの現れであるのです。
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政治の問題となってしまった靖国神社
靖国神社の問題は単に宗教上の問題だけでなく
政治の問題、それも国内政治だけでなく
国際政治、外交の問題にまでなってしまっている
ところがあります。
それでは
靖国神社の何が問題となっているのか
大きく3つにまとめてみます
(1)侵略戦争の象徴でもあり、これを認めると軍国主義
の復活に繋がる
(2)政教分離に違反する
(3)外国(中国と韓国)が批判している
「顕彰」「追悼」「慰霊」
この靖国神社の問題を語る上で重要な言葉が3つあります。
「顕彰」「追悼」「慰霊」ですが、これらの言葉の意味を
まとめますと、以下のようになります。
「顕彰」:功績などを世間に知らせ、表彰すること
「追悼」:死者をしのんで、いたみ悲しむこと
「慰霊」:死者の霊魂をなぐさめること
先述の通り、日本においては不幸な死に方をした人は
手厚くお祀りしないといけない、という思想があります。
戦没者の祀りについてはこの3つを組み合わせる
形になります。
亡くなられた方を追悼し、国のために頑張って頂いた
ことを顕彰し、みたまさまが安らかにお鎮まり頂くよう
慰霊する、これを一通りしないと、日本人はどうしても
気が収まらないところがあります。
例えば未だに戦死者の遺骨を回収していますが
あれも慰霊の一環だと考えないと、行動自体が理解で
きないと思われます。