カタカナは平安時代初期の天平勝宝年間(西暦749-756年)に
吉備真吉備が50音図と共に選定したと伝えられています。
しかしこれはあくまでも伝承です。
カタカナは非常に安定した文字で、最初は様々な字体が
ありましたが、平安時代中期には既に現行に近いものに
整備され、以後はほとんど変化していません。
漢字のような表意+表音文字から表音専門の常用文字が
作られ、それが定着するまでには
通常、千年単位の時間が必要ですから、このカタカナの
安定性は驚異的です。
この50音図とカタカナを作る段階で、音韻の研究から
濁音と半濁音を「゛」と「゜」で表す、日本独特の表記法が
発明されたのではないでしょうか。
したがって50音図はカタカナで書くのが本来です。
※例えば朝鮮のハングル文字は
公式に制定されたのは1446年ですが
(実際にはそれ以前から作られていました)
民衆の間に定着したのは第2次世界大戦後(1945年以後)ですから
500年以上の年月がかかっていますwww。
朝鮮王朝と朝鮮庶民は全く別物で、日本が統治するまで
庶民は文字を持っていなかったからです。
●ハングル文字は世宗王が作ったにも関わらず
蔑まれていた。
●儒教では王の権力は絶対。
●世宗王が対馬に侵攻(1419年応永の外寇)し
倭冦の支那人と朝鮮人を捕虜にしてからハングル文字を
研究する機関(集賢殿)を設立している。
●倭冦は中国人・朝鮮人・日本人の混成集団で意思疎通を
するために表音文字を作ったのではないか?
それが対馬のアビル文字であり、それがハングル文字
となったのではないか?
●倭冦の文字であり王が作った文字ではないから
蔑まれたのではないか?
●倭冦の意思疎通の為の表音文字だから
支那語と朝鮮語と日本語のほとんど全ての「音」を
表現する機能があるのではないか?
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