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シナ(支那)を「中国」と呼んではいけない理由

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属国が支那と呼ぶなアル」

「支那(シナ)は日本人だけが使った
                                      差別語である」の嘘

「支那(シナ)は日本人だけの呼び名であり、支那人を
侮蔑してこう呼んだのだ」と 主張する人がいます。

これはまったくの嘘です。
 
「シナ」も「支那」も日本だけで使われた言葉ではないし
ましてや差別語ではありません。

『広辞苑』には
「支那」とはシナに対する外国人一般の呼称であると
書かれています。


支那(しな)
(「秦(しん)」の転訛)外国人の中国に対する呼称
初めインドの仏典に現れ、 日本では江戸中期以来第二次大戦末まで
用いられた。
戦後は「支那」の表記を避けて多く「シナ」と書く。

インド人の「シナ」という呼称に「支那」の字を当てたのは
当のシナ人です。

そしてシナ人自身も自国を「支那」と呼んでいました。

「国父」とされる孫文も自国を「支那」と言っています。
 
差別語であればシナ人は
         使わないはずですwww。

一方、日本人は
元々シナを「から」「もろこし」と呼んでいました。
 
「支那(シナ)」と呼び始めたのは外国人の影響です。
 
江戸時代の学者・本居宣長(1730-1801)は
『玉がつま』の中で、 日本の一部の学者が外国の真似
をして「支那」と呼ぶことを批判しています。


もろこしの國を、もろこしともからともいひ、漢文には
漢とも唐ともかくぞ、皇國のことなるを、
しかいふをばつたなしとして
中華中國などいふを、かしこきことゝ心得たるひがことは、

馭戎慨言にくはしく論ひたれば、今さらにいはず、又中華中國などは
いふまじきことゝ、 物のこゝろをわきまへたるひとはた
猶漢もしは唐などいふをば、つたなしとやおもふらむ
震旦支那など書くたぐひもあんなるは、中華中國などいふにくらぶれば
よろしけれども、 震旦支那などは、西の方なる國より、つけたる名 なれば
そもなほおのが國のことをすてゝ、人の國のことにしたがふにぞ有ける
 もし漢といひ唐ともいはむを、おかしからずとおもはゞ
 漢文にも、諸越とも、毛虜胡鴟とも書むに、何事かあらむ

このことからも、支那(シナ)は「日本人だけが使った言葉」
ではない事が明らかです。

むしろその呼称が世界標準だったために、日本人までが
使うようになったというのが真実です。

世界の国々がシナを何と呼んでいるかをまとめたものです。
これを見ると、国毎のなまりはあるものの
多くの国が「シナ」に基づく呼び方をしている ことが
分かります。

英語の「チャイナ」もシナが変化したものです。

朝鮮語の「チュングク」と
ベトナム語の「トゥルンコック」
のみが「中国に基づいた呼称のようです。



 ペルシャ語の「シニスタン」は震旦(しんたん)」と同源で
やはり「秦(しん)」が元になっています。





そもそも「中国」と言う言葉には
世界の中心の国」という意味の普通名詞の用法があります。
この用法は固有名詞としての「中国」とは違って
非常に長い歴史があります。
その言葉は中華思想という世界観を前提としています。
 
その世界観は、「中国」を中心として、四方に野蛮な
異民族
がいるというものです。

四方の異民族は東夷(とうい)、西戎(せいじゅう)
南蛮(なんばん)、北狄(ほくてき) と呼ばれました。
 
使われている文字を見れば分かる通り、周辺の異民族を
侮蔑してこう呼んだのでした。


「中国」には、天からの命令(天命)を授かって世界を
治める「天子(てんし)」がいるとされました。

天子が政治を行う場が朝廷です。

皇帝は天子の別称で、「皇」の字は天子にのみ
許されるとされました。

皇帝は「中国」を治めるのみならず、四方の野蛮な異民族
をも臣下の国
として従え、 その国の長に「王」の称号
授けました。

王は皇帝に忠誠を誓い中国」に貢ぎ物を納めました
これがいわゆる「中華秩序」です。
だから「中国」は尊称でもあります。


7世紀の始め、シナの前にもう一つの大国が現れました。

その国もまた自国を中国と呼びました。
 
下に示すのは、その国から送られてきた国書の一節です。

日出づる処の 天子が、日没する処の 天子に手紙を送る
(日出處天子致書日沒處天子)  天子が二人になっています。

 続いて送られて来た二通目の国書は次のようなものでした。

東の 天皇が謹んで西の 皇帝に申し上げます
(東天皇敬白西皇帝) 
天子にしか許されないはずの「皇」を
名に持つ元首が二人います。

言うまでもなく
  これは日本がシナに送った国書です。
この二つの国書が提示しているものが、共に
「二つの中国」という新しい世界観 
であることがお分かりでしょう。

これは一つの中国を前提とするシナ人の中華秩序を
否定
するものでした。
 
隋の煬帝は不本意ながらもこの国書を受け入れています。
それ以来アジアには二つの中国があり、互いに張り合って
来たわけです。


この新しい秩序を受け入れなかったのは
シナよりもむしろ
シナの属国の朝鮮でした
 
明治時代に日本が朝鮮に修好を申し入れた時も
国書に「皇」の字が使われていると言って
拒否しました。



今でも朝鮮人などが、天皇という呼称を嫌って「日王
などと言うのは、 この「二つの中国」という世界観を
認めたくないからです。

日本国内にも、執拗に聖徳太子の存在を否定し、
大和朝廷をヤマト王権」と言い換えたがる勢力が
ありますが、 まったく同じ発想です。

 


朝廷」は天子が政治を行う場、「王」は皇帝の臣下
あることを思い出して下さい。
大和」を「ヤマト」に置き換えるのは、「大」が敬称
だからです。


今日の私達は当たり前のようにシナを「中国」と
呼んでいますが、 それは「中国」が「中華人民共和国」
略称だと思っているからです。
 
しかしそう呼ぶことは、聖徳太子が確立なさった
「二つの中国」という日本の基本的立場を危うく
するものです。
 
日本こそが中国なのに、なぜ他国を「中国」などと
呼ぶのでしょうか。

これがシナ「中国」
  呼んではいけない理由 です。



朝鮮人やベトナム人がシナを「中国」と呼ぶのは
臣下の国(属国としての長い歴史を反映した
ものなので
問題ありませんwww。


日本人がそう呼んではいけないのは、日本の歴史を
反映していないからです。
 
私達は敗戦と共に、そういう間違った呼称を巧妙に
押し付けられたということです。

 
本を正せば「中国」の意味や聖徳太子の国書の意味を
教えない学校教育に根本的な問題があります。


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