ロサンゼルス・タイムズ紙に寄稿した、
「広島への原爆投下は世界を変えたが、戦争を終結させてはいない」
というタイトルの記事からです。
・ほとんどのアメリカ人は、原爆投下が戦争を終
わらせたため
原爆を使用したことは正当であったと教えられてきた。
この誤った主張は、今でも高校の歴史教科書に
記載されている。
・トルーマン大統領は、広島への原爆投下に狂喜し
「アメリカの歴史上最も偉大な瞬間だ」と口にした。
しかし、米軍の指導者たちは、彼の熱狂を
共有しなかった。
・ドワイト・アイゼンハワー元大統領
ダグラス・マッカーサー元帥など、
当時の8人の元帥のうち7人が、原爆投下は
軍事的に不要であったし
人道的に非難されるべきものであったと主張
している。
・合衆国陸海軍最高司令官(大統領)付参謀長だった
リーヒ氏は回顧録に
「日本は既に敗北を悟り、降伏する準備ができていた。
この野蛮な爆弾を投下した事は無意味であった」
と記している。
マッカーサー氏はフーバー元大統領に対して
「皇室の維持を認めれば、日本は進んで降伏する
事になる」と進言していた。
・太平洋戦を終わらせたのは広島と長崎への原爆投下
ではない。
日本を降伏へと動かしたのは、1945年8月8日深夜に
始まった、ソ連軍の満州やその他の日本の植民地
への侵攻である。
・残虐で非人道的であった両都市への原爆の投下は
即時降伏に関して、日本の首脳部の決断に大きな影響
を与えなかった。
既にアメリカは日本の100以上の都市を破壊していたのだ。
・河辺虎四郎中将は後に米国の尋問に対してこう語った。
「広島や長崎の惨状が知れ渡るようになるのには
時間を要した。
しかし、ソ連の参戦は、即座に大きな衝撃を与えた」
・鈴木貫太郎元首相は、日本が即時降伏せざるを
得なかった理由として、
「ソ連が満州、朝鮮、樺太だけでなく、北海道にも
来るだろう。
そうなれば日本の根本を壊すことになってしまう。
アメリカと交渉出来るうちに話をまとめなければ
ならない」と語った。
日本の上層部はまた、皇室の存続という日本の
最優先事項に関して
ソ連が厳しい対応をしてくることを知っており
それを恐れていた。
・ソ連の侵攻により日本の敗戦が決定的に
なることを、連合国側の諜報機関は上層部に
報告していた。
トルーマンもそのことを理解していたが
なお原爆の投下を決断した。
ソ連対日宣戦布告
1945年(昭和20年)8月8日に
ソ連が日本に対して行った宣戦布告を言う。
ソ連軍の攻撃は8月9日午前零時を
以って開始されている。
8月9日以降満州国や日本領樺太にソ連軍が軍事侵攻した
当時関東軍は南方へ兵力の過半数を引き抜かれていたが
居留邦人15万名、25万名を、さらに支那戦線から4個歩兵
を戻してなんとか74万人の兵員を調達した。
集めた200輌、航空機200機、火砲1000門も健在であった。
しかし
兵員の半数以上は訓練不足
(航空部隊のほとんどが戦闘未経験者)
日ソ中立条約破棄を想定していなかった関東軍首脳部の混乱
物資不足(砲弾は約1200発ほどで、また小銃が行き渡らない
兵士だけでも10万名以上)のため事実上の戦力は30万名程度
だったといわれている。
大本営は本土決戦準備を優先し、関東軍に対して増援を
送らないことを決定していた。
それに比べて極東ソ連軍のヴァシレフスキー総司令官
率いるソ連軍は
兵員1,577,725人と火砲・迫撃砲26,137門、戦車・自走砲5,556両
航空機3,446機という圧倒的な装備を擁して満州国に
侵攻を開始し関東軍の陣地、要塞を次々と攻略した。
北海道北部までの獲得をもくろんだスターリンの命令により
ソ連軍は終戦後も8月末まで侵攻を続け樺太を占領した。
8月18日以降新たにでも戦闘が開始され、アメリカ政府
からの抗議を受けながらも降伏文書調印後の9月4日
まで 侵攻を止めなかった。
この結果、ソ連は最終目標である北海道こそ占領できなかったが
千島列島と南樺太および歯舞諸島、色丹島の占領を成功させた。
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米国「俺達が教わった歴史は嘘だった」 原爆投下の真実
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