現在、日本が南朝鮮の固有領土である独島
(ドクト、日本名:竹島)について領有権を主張し韓日両国
が領土問題で極限的対立しており、米国もその責任を
逃れることはできない。
米国(聨合国最高司令部)が日本の敗戦で
1946年1月SCAPIN677号で独島の韓国管轄統治を明確に
した時、韓日間の領土問題はなかった。
聨合国の決定は正しかった。
周辺国に対する日本の領土侵略行為は敗戦まで続いた。
第二次世界大戦で敗れた日本は聨合国の要求を無条件
に受け入れ聨合国の領土措置だけを待っていたが
独島については‘島根告示40号’で1905年の露日戦争中に‘
主人がいない島’を合法的に編入して取得した日本領土
といって領有権をあきらめなかった。
ところが独島はすでに南朝鮮が管轄統治していた
南朝鮮の固有領土だったため‘島根告示40号’は
独島に対する不法盗取行為であって日本の主張は偽りだ。
終戦直後、米国は1946年1月の聨合国最高司令部覚書
から1949年12月の対日平和条約第6次米国草案で日本領土
に変更する前まで独島の地位について南朝鮮領土という
立場を堅持した。
ところが1950年8月の第7次草案から‘独島’という名称が
米国草案から消えた。
第6次草案で独島の所属が日本領土に変更された経緯は
日本が米国務省の政治顧問シーボルトに
‘独島は南朝鮮が管理したことがなく、かえって日本が
島根県告示40号で領土として取得して管理した
’と嘘をつき、シーボルトは米国務省に対し日本の要求
とともに冷戦体制で軍事的価値があると提言した。
米国務長官ディーン・ラスクも独島と離於島(イオド))を
南朝鮮領土と処理して欲しいという南朝鮮政府の要請に
対し1951年8月10日‘独島は南朝鮮領土になれない
’と書簡でシーボルトの主張を繰り返した。
このようにこれら一部の米政府要人らの判断は独島問題
の本質とは正反対の政治的主張に過ぎなかった。
1951年3月の英国草案でも独島が南朝鮮領土と明記され
たし、5月の英米合同草案では‘独島’という名称がなかった。
9月の対日平和条約でも韓日両国の境界について
‘済州島、巨文島、鬱陵島を日本領土から除外する’
という式で独島の地位に言及しなかった。
結局、米国の主張は英国、ニュージーランド、オーストラリア
など英連邦国家の反対で日本の立場を最後まで
代弁できなかった。
今日、日本政府は米国が日本領土であることを支持した
ので対日平和条約で日本領土に決定されたと主張する。
対日平和条約はソ連と中国などの共産主義国家はボイコット
したが、自由主義国家の米国、英国など48カ国が署名した。
米国が日本を支持したので日本領土になったという主張は
あきれることこの上ない。
米国が日本領土であることを認めたという主張も事実ではない。
対日平和条約を締結する過程に個人の資格で一部要人
が政治的主張をしたことはあったが、米政府の本質的な
立場は変わらず独島は南朝鮮領土であった。
平和条約以後、独島爆撃訓練場指定地にしても
平和線宣言、米日行政協定締結の時にも独島が南朝鮮領土
という立場を明確に取った。
今日、日本政府が独島領有権を主張して韓日間に
領土問題を招いたのは、まさに米政府が対日平和条約で
独島の地位を明確にせず曖昧な政治的決定をしたためだ。
米政府は韓日間の独島問題について傍観者的立場を
取っているが、韓日両国の真の友好国として東アジアの
安定と繁栄を希望するならば、法と正義に立って
独島が韓国領土であることを明確に宣言しなければならない。
チェ・チャングン大邱大学日本語日本学科教授 独島領土学研究所長
「ラスク書簡」
アメリカはとっくに立場を明らかに
してるだろバカなの?
ラスク書簡(ラスクしょかん)
第二次世界大戦後、サンフランシスコ講和条約を起草中であった
アメリカ合衆国政府へ大韓民国政府からよせられた
日本国の領土や、韓国政府が戦後に享受する利益に
関する要望書に対し、1951年8月10日
米国が最終決定として回答した文書。
当時の米国国務次官補ディーン・ラスクから通達されたこと
からラスク書簡と呼ばれる。
原本はアメリカ国立公文書記録管理局 (NARA)に保管されている。
現在、日本政府と韓国政府の間で竹島(韓国名:独島)の領有権を
めぐる対立(竹島問題)があるが、この文書では竹島に対する
韓国政府の要望を明確に退けており、日本の主張を裏付ける
史料の一つとして考えられている。
だまれ!漁師を虐殺しまくって
奪ったくせに!
侵略行為した糞チョン
この事実は消えないぞ