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PONYO (崖の上のポニョ)

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Ponyo Ponyo Ponyo, child of a fish.
She came from the ocean,
which was very blue.
Ponyo Ponyo Ponyo has a round belly.
That girl with a big belly,
showed up on a cliff.

Step and step, Jump and jump.
I like these legs.
I can start running!
Grabbing with my hands,
swinging my arms.
I like these hands.
I can hold your hand!

When I am jumping with you,
my heart starts dancing.
My heart is pounding,
I want to kiss and hug you.
I like you so much.
She is a red girl.


Ponyo Ponyo Ponyo, child of a fish.
She came from the ocean,
which was very blue.
Ponyo Ponyo Ponyo has a round belly.
That girl with a big belly,
showed up on a cliff.

本当は怖いポニョの都市伝説?

2008年7月に公開された『崖の上のポニョ』が、2月5日に地上波としては初めて
放映された。
溢れるような色彩の洪水に圧倒され、存分に楽しんだ視聴者も多いことだろう。
しかし、一方で見終わった後、形容しがたい違和感を覚えた方もいたのでは
ないだろうか?

 それもそのはず
映画公開直後も、ネット上には「あれは何だったんだろう?」と困惑を隠しきれ
ないといった感想が非常に多く見られた。
中にはあからさまに「駄作だと」決めつける人がいたり、民俗学的な解釈を
加えて「ポニョの背後には“死のイメージ”がつきまとっている」などと小難しく
論じる人など、さまざまな議論を巻き起こした。

 物語の解釈は人それぞれだし、何が正しく何が間違っているという類のもの
ではない。
制作者の人となりであるとか、作品の製作過程を知ることで理解しやすくなる
こともある。

 一部では、洪水後の世界は「あの世」で、実は全員死んでましたという都市
伝説のような解釈が存在する
しかし、むしろあれは「赤ちゃんが生まれる前」の世界だったと仮定したらど
うだろう。
死後の世界よりもわかりやすく、ポジティブな見方ができるのではないだろうか。
内容的にも、「生まれてきてよかった」という公開当時のキャッチコピー
とも一致する。

 公開直後にNHKで放送された『宮崎駿のすべて~“ポニョ”密着300日』と
いう番組の中で、宮崎駿は壮年期を迎えて次々に親しかった友人が死んで
しまう悲しさを語っている。
葬儀を終えてもまだ友人が死んだという実感を持てない宮崎駿は、友人が息
を引き取った集中治療室へ行き、その魂をクルマの助手席に乗せて友人宅
まで送り届けたのだというエピソードを披露する。

 そういったいきさつから考えても、『ポニョ』とは、「人はなぜ生まれなぜ死ぬ
のか」という宮崎駿なりの死生観を納得がいくまで突き詰めた作品だったの
かも知れない。

 メディアに取りあげられる「死」のイメージは殺人であったり自殺であったり
やたらとネガティブなものばかりだ。
しかし普通の人にとっての「死」は、ただ「生まれる前に帰るだけ」であって
怖がったり怯えたりするようなものではないのだ。
肩肘張らずに、もっと穏やかに迎え入れることができれば、どんなに幸せな
ことか。

ポニョのノー天気な主題歌やハッピーエンドは、まさにその象徴である。

また、ポニョの制作中にスタジオ・ジブリではスタッフ用の幼稚園が建設された。
これについては『鈴木敏夫のジブリ汗まみれ』というポッドキャスティングの
2008年7月2日の回で詳しく語られている。

 それまでジブリでは、社内結婚をするカップルは多かったものの「今の生活を
楽しみたいから子供は作らない」という暗黙の風潮があったという。
しかし、入社して間もない若者が、宮崎駿のお気に入りだった女性スタッフに
手を出し妊娠させてしまういわゆる「デキちゃった結婚」のようなものだ。

 アニメ製作の世界は薄給で知られている。
世界的に有名なジブリですら、それほど収入は多くないだろう。
それまでは将来的な不安もあって、みんな子供が作れなかったという側面も
あるだろう。
しかし後先考えず出産を決意して育児に専念する二人の姿に感化され、社内
に出産ラッシュが巻き起こったのだという。

 若さ故の無鉄砲と言ってしまえばそれまでだが、宮崎駿はどうやらそこに
現在の閉塞した社会状況を打破して未来を切り開く活力のようなものを見出
したようだ。
そして、そんな頼りないけれどエネルギッシュな若い親の世代を応援するため
に、幼稚園を作ったのである。

 どんなに頼りない親でも、子供にとっては唯一無二の存在である。
酒やパチンコに溺れて中には育児放棄してしまうような親もいる。そんな駄目
な母親のリアルな姿を投影したのが、劇中のリサなのだ。


 公開直後、宗助の母親であるリサに対して批判の声が挙がった。クルマの
運転が乱暴であったり、子供に自分の名前を呼び捨てにさせたり、食事が
インスタントラーメンであったり、父親の帰りが遅いとダダをこねて不機嫌に
なるなど、情緒不安定で母親失格だというのだ。
確かに人生の先輩から見たら、若い父母は頼りなくも見えるだろう。

劇中でも、ポニョと宗助の両親はどこか情緒不安定で頼りない。
ただひたすら子供たちに翻弄されるばかりだ。

 しかし、そんな親たちの世代も含めて温かく見守ってゆこうという優しさが
『崖の上のポニョ』という作品の中には漂っている。

 そもそも宮崎アニメに「理想の母親像」を求めるのはお門違いだろう
一般的にはほのぼの路線の好々爺といったイメージの宮崎駿だが、かつては
バリバリの共産党員で「地球のためには人類なんて滅んだ方がいい」という
過激発言でもお馴染みだ。

もともと人畜無害でお行儀の良いファミリー層向けのアニメを作るような
人物ではない。

 さらにNHKの番組では、宮崎駿がまだ幼かった頃、母が病気になってし
まったエピソードが語られていた。
「おんぶして」と近づいていったが、それを拒否されてしまうのだ。
しかも母はその直後、病ゆえに子を抱けない自分のふがいなさに涙したという。
そんな寂しい記憶が宮崎駿という人物の根底に流れているのだ。

 一般的には「母親とは無条件に優しいもの」というイメージがある。
そして常に完璧さが求められがちだ。
しかし宮崎駿の提示する「母性」とはまるで海のごとく、時に優しく、時に荒々
しい、気まぐれで得体の知れないものなのだ。

 『崖の上のポニョ』という作品の持つ不気味さとは、決して都市伝説的な
「死の恐怖」ではない。
むしろ我々が普通に抱いている「母親とは無条件に優しいもの」という前提
条件が覆される不気味さなのだ。




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