波乱の様相の中国株式市場が注目を集めている。
6月24日に暴落し25日には再び激しい騰落が見られ、上がり下がりの
激しさは何年ぶりだ。
だが、株式市場の急激な上昇と下落は金融危機の前触れではなく、新たな
金融危機を招く引き金でもない。
株式市場に投資家が大きな関心を寄せるのは利益のためであり、当局が
神経を尖らせるのはマクロ経済が気掛かりだからだ。
株式市場は経済の晴雨計だ。
突然の株価急落を見て、金融危機の再来かとの懸念が浮上している。
ただ、民心を動揺させ、社会の予想を乱す恐れのあるこうした言論を放任
すれば、株式市場の波乱、経済不安につながる可能性もある。
「金融危機」との説は大衆を惑わすデマと同じだ。
今度の激しい騰落の原因は言うまでもなく明らかで、多くの人の意見が一致
している。
総じて言えば資金不足、政策の競合、外部環境の3つの要素が同時に働い
て株式市場に響いた結果だ。
そのうち新規株式公開(IPO)再開予想の影響に言及するものもあるが
それはとるに足らない。
資金不足は新鮮味のない話だ。
実際、毎年6月、7月、8月に、銀行は金詰りに苦しんでいる。
ただ、今年は特に不足している。
原因は一部の商業銀行が急激な拡張を行い、やみくもに市場シェアを拡大
した結果、資金の銀行離れを招いたことだ。
このほかに銀行の投資商品の多くが期限切れとなり、中間業績の審査、預金
準備金の納付なども迫っている。
短期的資金需要が急に膨張した結果、銀行間貸出を余儀なくされた。
6月17日、銀行間貸出金利が一時、13%以上に達していたことから、資金
不足の厳しさがうかがい知れる。
以前、資金不足に遭遇すれば中央銀行は流動性放出を行うことが一般的
だったが、今年は104兆元(約1650兆円)に膨らむ通貨放出残高に鑑み
商業銀行の要請に応じない上、流動性管理の一層の強化を要求した。
もとの政策予想が破綻したため、銀行、不動産関連株が一段安となった。
外部環境とは、米国の量的緩和第3弾の縮小や廃止に対する予測だ。
米連邦準備理事会によると、ホットマネーの米国回帰が世界株式市場の
一段安を招いた上、中国市場にも波及した。
3つの要因が短期間内に株式市場に影響を与えるが、資金不足の緩和
中央銀行の貨幣政策に対する微調整にしたがって、株式市場の景気回復
が期待でき、金融危機に関する言論は気にかける必要がない。
ただ、株式市場の激しい騰落は中国経済、特に資本市場に存在している
深刻な政府依存症を浮き彫りにしている。
上場会社としての商業銀行は政府からの支援を熱望する一方、投資家も
政府からの助け船を望む。
人騒がせな言論に過ぎない「金融危機」に比べ、未成熟な状態にある
資本市場の政府依存症に、一層警戒する必要がある。
一日の金利が13%なんて馬鹿げた事態が現実に起こってるのに?
どう考えても終わってるとしか思えないのが現実だろ 。
< 中国経済崩壊記事 >
2012年 中共GDP 16.7兆元(267.2兆円)
2012年 国家予算 10.8兆元(172.7兆円)
2012年 経常収支 0.34兆元(2.1兆円)
2012年 外貨準備 21.4兆元(343兆円)*2013.03月末
2012年 対外債務 11.9兆元(190兆円)
シャドーバンク貸出額 29兆元(464兆円)
内訳 1)既存銀行の貸借対照表に記載されない商業手形や信託融資
2) 銀行以外の高利貸金融
3) ノンバンク
地方政府の債務 6兆元(96兆円)
内訳 1) 債務返済のための担保額は0.46兆元(7.3兆円)
2) 地方融資PF会社の禁止担保の差入れ債務残高(違法)0.73兆元
(11.7兆円)
3) 使途未定の債務残高1.3兆元(20.8兆円)
4) 目的用途外債務資金が0.35兆元(5.6兆円)
5) 地方融資PF会社が虚偽に登録した資本金2.44兆元(39兆円)など
中央政府の債務2013年 12.3兆元(196.8兆円)
2012年 政府の債務残高 16.2兆元(259.2兆円)
中国国内の債務合計=51.2兆元
(819.2兆円=日本の約9年分の予算が債務となっている。)
*日本の政府債務が約1000兆円=10.5年分、中国は現状で
9年分もっている。
不良債権化=12兆元(192兆円)が発生して処理する必要が想像される。
中国政府がこの経済破綻を解消するには元札を刷ってインフレにして物価を
300%ぐら いにしてさらに緊縮財政で10年頑張って解消できる範囲であると
考えられる。
しかし、その社会への投資がなく、輸出が無理であれば一機に中国は赤字と
なり貧乏な 国に戻るだろう。その前に国内の混乱を避けて軍が暴走する
ことで終わるだろう。
中国人が「支那」と呼ばれるのを
いやがる理由
なぜ日本語の「支那」だけをいやがるのか?
この謎を解くには、竹内文献を紐解くとよく分かる。
なぜなら「支那」という意味は
「枝の国」という意味なのだ
中国の史書から・・
Ⅰ)『十八史略』巻一 太古
「天皇氏、以木德王。歳起摂提。無為而化。兄弟十二人、各一万八千歳。」
「天皇氏は太古の昔から 王である」と記されている。
Ⅱ)前漢代、袁康の『越絶書』には
「夫れ、越王勾践は、東僻と雖もなお、天皇の位に繋がる」
「東方僻地の(日本に近い)王は、天皇たり得る」とある。
Ⅲ)唐代の補筆された『史記』の冒頭に
「最初に天地のうちに現れた君主が、天皇である」と記されている。
Ⅳ)四世紀の道士 葛洪は 著書『枕中書』のうちで
扶桑大帝東王公は天皇なりとし
「扶桑大帝は東王公であり、元陽父と号し、碧中に住す。
上に太真宮有り、天皇と為り…云々」と、説いた。
「天皇は、大陸東方海上の島に住み、そこを治める日神なる君主神」
ということである。
天皇 =スメラミコト
この『枕中書』の「…上に「太真宮」有り、天皇と為り…云々」とある
「太真宮」について、日本の『竹内文献』では
[スメラミコト(天皇)の称号は、日球の国のホドの神(天神)と、地球のミドの
神(人祖:くにつかみ)から生まれた 国萬造主(くによろずつくりぬし)が
上の位の神より「天神人祖初 神宮」で授かった]
とある。
すなわち、大陸では【太真宮】、竹内文献では【天神人祖初 神宮】と、双方に
共通する「お宮があった」という認識が存在したのだ。
そのうえで、「竹内文献」には、天地開闢以来存在した「スメラミコト」は
地球上の枝国(えだくに)を巡幸し、子らを各国に赴かせた、とある。
それによると、日本は祖国(おやくに)で、枝国が 十六国あったという。
その中の大陸へは、スメラミコトの子「盤支那弟清民王」が赴き、その地を
祖国「天津(あまつ)国」にちなんで、「天津」と称した。
そこが現在の天津市だという。
そして子孫には、
A)「華唐古氏」~ 伏義氏・神農氏の系統と
(これらは中国の神話の世界とされている)
B)「支那華氏」~ 北京氏・南京氏・福建女氏・四川平氏ら系統がいる
とも記されている。
つまるところ現代中国人には、東方には太古の昔から王である天皇氏が
存在したという記憶があり、支那国はその「スメラミコト」のいる祖国
(おやくに)の「枝国」だったという記憶も、また存在するのだ。
それゆえ、後の時代(古代)に大陸は、世界四大文明の国だった、という
プライドを傷つけるものとして、「支那=枝の国」という名称を
忌み嫌うのである。
しかしこれらの記憶は、厳然として永遠に残る。
上記の話を、大陸の教養人に話せば、皆 押し黙ってしまうことだろう。
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