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パイロットがUFOとの遭遇事件をついに明かす

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退役した米空軍中佐によって最近もたらされた報告である。彼の名前は伏せることを求められおり、そのファイルはMUFON本部に保管されている。

 以下に書き記す報告は、私が記憶している出来事に関する詳述であります。

実際の日付と時刻は私の飛行記録から入手可能です。1960年に私は中尉でF-89J戦闘機のインストラクター・パイロットとして、テキサス州ウェイコー(Waco)にあるジェームズ・コネリー空軍基地(James Connelly AFB)に配属されました。私が組んだインストラクター・レーダー・オブザーバー(機上レーダー監視員)はJoe E. Meyer中尉でした。1959年末か1960年の初頭、Curtis E. LeMay大将は我々の防空網に潜入する爆撃機の戦闘能力をテストする演習を指揮しました。我々はレーダー・オブザーバー(機上レーダー監視員)の訓練の職を解かれ、飛行隊として防空演習に参加するように命じられました。

 ある日の午後10時、私は緊急発進を命じられ、フォート・フッドにあるレーダーサイトの方角へ向かいました。国籍不明機(bogey)はテキサス州西部で捕捉され、それを迎撃するよう指示されました。私は通常よりも長いアフターバーナーを使って離陸し、テキサス州ミッドランド付近の上空、高度42000フィート(12800m)でB-47の迎撃に成功しました。その時の私の位置が、レーダー管制下にあったかどうかは定かではありません。迎撃後に、私は方向転換を行ってウエイコーの方へ引き返しました。燃料が残り少なくなっていたので、スロットルを少し戻し、徐々にパワーを下げて行きました。我々のおよそ1000フィート(3000m)下に薄い雲が広がっていました。その夜の視界は限り無くクリアーでした。ジェームズ・コネリー基地(James Connelly)へ接近するために高度を下げた時には、星明かりと月明かりが我々の下の白い雲を照らし出していました。この位置では我々はまだフォート・フッド(レーダーサイト)のレーダー管制下にありました。ウエイコー(Waco)の北西、高度22000フィート(6700m)に達した時には、雲の切れ間を通して基地を見ることが出来ました。ウエイコー(Waco) の明りが真下にある雲を照らし、進行方位を決める助けになりました。この時には無線で他の航空機の飛行がないことが分かっていたので、レーダーサイトの管制を解除し、有視界飛行をしようとしました。

 機をまっすぐウエイコー(Waco)の方角へ向け、他の航空機が侵入していないことを確かめるために、肩越しに下を見ていました。そうすると、ウエイコー(Waco)上空に、我々と同じ高度にある一つの光に気がつきました。私はジョー(Joe)にそれを示して、彼もその光を見ました。その光点を見ながらそちらの方へ方向転換を続けましたが、その光は動きませんでした。機を水平にしパワーを上げ、我々の前方にその物体が来るようにしました。ジョーは物体をロックオン(自動追尾)しようと言い、すぐに彼はロックオンしました。私のスコープは2.75ロケット弾を発射するために機が衝突進路にあるのを示していました。

 その時は非武装でしたが、攻撃レーダーは武装時と同じように情報を提示していました。ジョーが私に針路を指示し物体に接近した時、私から見える物体の側面には4つの強く輝く円形の青白い光がありました。スコープで自機の真対気速度を確認すると、発射距離10秒の位置にありました。我々のオーバー・テイク(追い越し速度)と真対気速度は同一で、その物体はまだ停止していることを示していました。その時の真対気速度は275でした。私は自機の翼幅と比較してその物体の幅を計ろうと思いましたが、25~30フィート(7.5~9m)はあると見ました。ジョーと私は高さを8~9フィート(2.4~2.7m)と見積もりました。この頃には発射距離5秒の位置になっていました。一体どうなるんだと思いました。

 ジョーは私のヘルメットの上に物体が見えると話していました。我々はそれが未確認飛行物体(UFO)であると結論しました。最後の手段は相手との衝突だと教えられたのを覚えています。その時すぐにスコープ上の点が流れ出し、その物体が信じられない速度で垂直に上昇するのを見ました。2、3秒のうちに、我々はその物体の真下に位置していて、その腹部をまっすぐに見上げると、円形で青白く光り輝いていました。自機が物体の直下に来た時に、それに供給されているエンジンの下方への推力によってもみくちゃにされることを予想しました。しかし驚いたことに、予期したような衝撃など、何も起こりませんでした。プロペラやロケットエンジンからの下方への推力も何も。

 再びその飛行物体に目をやった時には、空の星のように急速に小さくなって、視界から消えてしまいました。90000フィート(27400m)を超えたあたりで、それを失探したと見積もりました。我々はその出来事に非常に興奮しましたが、それは秘密にすることを誓いあいました。もし本当の事を言えば、気がふれたと烙印を押され信用もされず、飛行機をおろされるだろうと思いました。降下と着陸を完了した後に、我々は2度と事件について話し合いませんでした。その年の暮れに異動があり、それ以来ジョーとは会うことも話すこともありませんでした。

 上記は全て事実の報告であり、これを文章化するのは今回が初めてです。私はUFOとの遭遇が事実であり、それが実体のあるものでレーダーにも反応するもので、そしてその出来事が文書化され証言すべきであると考え、最近少数の人にその内容を話しました。


F-89J:http://www.wpafb.af.mil/museum/modern_flight/mf24.htm


B-47:http://www.wpafb.af.mil/museum/modern_flight/mf42a.html


Waco,Texasの周辺:http://www.yahoo.com/r/mp

上記の米空軍の事例では機上レーダーにはUFOが捕捉されていたようだが、地上のレーダーには設置位置や能力などの条件によっては捕捉されないかも知れないが、地上レーダーにも捕捉されていたかどうかが分かれば、より確実と思われるが、誰にも報告しなかったことから、それを確認するのは難しかったと思われる。

UFOの推力は少なくとも下方に向かって放射されていることは着陸痕跡などの調査から推定されているが、上記の例では推力が出ていると思われるUFOの真下にあっても機体に何らの影響もなかったことが報告されている。

当UFO情報センターにも防衛関係者から軍用機とUFOとの遭遇に関する報告が寄せられているが、それによれば現場の所属部隊には報告されても上級機関には上げられないケースもあったということである。訓練されたパイロットの正確な報告でも、内容があまりにも顕著だと、レーダー反応を伴う明らかな実体のある物体の記録であっても、報告するのを躊躇するという心理がはたらくようである。また民間機のパイロットも、UFOのような一部からは異常と思われるような報告をすると、パイロットとしての資質に疑問を抱かれかねないとの不安や所属航空会社の安全性に対する信頼を損ねるのではないかという危惧から、多くの場合それらは伏せたままにされているという。



 
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