【フィリピン日の丸塗りつぶし問題】
比政府が謝罪「意識せず韓国軍の要請受けて
しまった。
日本国民の心情を傷つけた」復元へ
本当に間抜けな国民性だね。
■塗り替えの経緯
http://s.ameblo.jp/fumiakikobayashi/entry-11894226530.html
フィリピン教育省の説明によれば校舎の外壁
の塗り替えは韓国軍ではなく、現地の児童の保護者等
がボランティアで実施したもので、その際に記載が
消されてしまったとのこと。
その後、韓国側より韓国軍が修復した証を外壁に
残したいとの申請があり
もともとの日本の支援を
意識せず許可してしまったとのこと。
事務的なミスであり、日本国民の心情を傷つけたことへの
謝罪があったそうです。
フィリピン政府としては日本の支援の証を何らかの形で
復元することを検討すると述べており、外務省からも
早期の対応を引き続き申し入れることとなりました。
以上が経緯です。確認いただいた外務省の皆様の
早期対応に感謝いたします。
そもそもあのように(下記前回記事リンク内)
画像を並べた記事が掲載されるということは
塗り替える前提であり、悪意があったように
感じます。
実際、日本の記述がある写真も被災後の
壁の画像ですから、そこに何が書かれて
いたか認識していたということでしょう。
フィリピンにも責任があるに決まってんだろ
人の善意を何だと思ってんだよ。
フィリピンは反日国認定
感謝すらしてないってことだよねw
(´・ω・`)
もう支援しないから後はお好きに
と、フィリピンに絶縁付きつけでいいんじゃね
あっちの扱いがそうなんだからこっちも
それなりでさ (=`(∞)´=)
本当ならフィリピンには今後一切支援しなくて
いいよ
全部韓国人の手柄になるなら意味ないし
何よりこんな恩知らずは日本人とは気質
が合わん チョンと仲良くやっとけや
校舎の建設も修理も日本や韓国に頼ってる
のはどうかと思うわ
国内でなんとかしてほしいよ (  ̄っ ̄)
さよなら
アイシャルリターン ニダ
1942年3月12日に極東米陸軍司令官の
マッカーサーはマニラ湾のコレヒドール要塞
から家族と側近を連れて魚雷艇に乗って
脱出します。
この時「アイシャルリターン(私は戻ってくる)」
と言った言葉
10万もの将兵を置いてきぼりにしたのです。
4月14日のコレヒドール砲撃戦で大方決着がつき
日本軍は5月5日の夜に上陸作戦を実施。
6日正午、マッカーサーの後任の司令官に就いていた
ウェーンライト中将が降伏を申し入れフィリピン戦
は終了します
既に米軍はこのとき食料が欠乏し、マラリア、デング
熱や赤痢が蔓延している状態でした。(日本軍も同様)
米軍は十万、日本軍は三万です
それだけの米兵がいながら、なぜ戦わないのか。
捕虜の世話をした日本兵も米兵の多さに閉口して
米兵が近寄ってきても「勝手にしろ」と言って相手に
するのも疲れたと言っています。
バターン半島で投降した米兵は83,000人といわれ日本側
の予想25,000を大きく上回ってしまいました。
収容所への移送に必要なトラックが足らず鉄道駅まで
の60キロを徒歩で移動しました。
食料も不足しており、マラリアにかかった傷病兵は
途中で倒れて亡くなりました。
これがバターン半島死の行進というプロパガンダとして
利用されました。
もし、これを非難するなら誰を非難すべきかは明らかだと
思います。
マッカーサーはこの屈辱と自己の責任回避の思いを
戦後のマニラ法廷にぶつけます。
(本間雅晴中将、河根良賢少将を処刑)
参考文献:「続・日本人が知ってはならない歴史」若狭和朋著
「GHQ焚書図書開封」西尾幹二著