※韓国:ウンコ・南トンスルランド・乞食
朝鮮人を飢餓と内乱から救った
哀れな大日本帝国
日韓併合後、日本は朝鮮半島を
日本本土と同じと考え
日本国民の莫大な税金を注いで
朝鮮を近代化させた。
日本の敗戦後、韓国はアメリカに
よって独立し結果的に日韓併合は
日本に多大な経済的損失を被った。
朝鮮の真実(証言集)
■ ビショップ夫人著「30年前の朝鮮」より
「市民は地上に瓦または藁を並べた平屋の下に潜り込んで生活
している。
いや不潔な道路に蠢動していると形容した方が良いだろうか。
その道路は広くても二頭の馬が並べるほどではない。
狭いところで大きな荷物を担いだ人が通ると、それだけで往来を
塞いでしまうほどである。
道路のはしには悪臭が辺り一面臭ってくる溝があり、
路面は埃まみれの半分裸の子供達と、猛悪な犬とによって
占領されている。」
「下水道は、市内の汚水を昼夜絶え間なく城外へと
排せつしている。
そのため、下水道の泥は真っ黒で、
遙かな昔からの汚水によって染められ悪臭を空気中に放散して
旅人を悩ましている。」
「ソウルは汚いことと臭いことでは
世界一である。」
相変わらずゴミの街ソウル
■ イザベラ・バード
商店も概してみすぼらしいのは同じである。
在庫品全部買っても6ドル程度の店が沢山ある。・・・
何も特徴がないのが特徴である。
・・・の他にある安価な灯油ランプ、手鏡、安物臭い花瓶などと
いった外国製の不要品から一番くだらない物ばかり選んで
きたような品々は、どれをとっても悪趣味の極みとしか
言いようがない。」
朝鮮人の日常
■ フランス人宣教師シャルル・ダレ「朝鮮事情」より抜粋
1871年から、1872年にかけて、驚くべき飢餓が朝鮮半島を
襲い、国土は荒廃した。
あまりの酷さに、西海岸の人々のなかには、娘を中国人
の密航業者に一人当たり米一升で
売るものもいた。
北方の国境の森林を越えて遼東半島にたどり着いた何人
かの朝鮮人は、惨たらしい国状を絵に描いて宣教師達に示し
「どこの道にも死体が転がっている」と訴えた。
しかし、そんなときでさえ、朝鮮国王は、中国や日本からの
食料買入れを許すよりも、むしろ国民の半数が
死んでいくのを放置しておく道を
選んだ。
朝鮮売春婦
朴政権
■ 統治時代の道知事 朴栄
公平無私なる観察を下すときは、いくら日本の朝鮮統治に反対
しても善政は善政に相違なく、如何に伊藤博文公を毛嫌いしても
公の真意には感謝せざるを得ない、とはある評者の言であった。
究意するに韓国を亡ぼしたのは日本でもなければ之を責めるに
も当たらぬ。
また当時の李完用始め自余の責任者でもなければ之を攻撃
するの必要なし。
タカリ政権
■ 朴泰赫
日本人地主は、韓国人の小作人の間で、きわめて評判が
良かった。
日本人がやってきてから、改良された堆肥を奨励したし、化学
肥料が配給されるかたわら、改良品種や、進んだ農業技術を
導入したので、収穫が増えたし、農地開拓と河川整備を進めた
ので、村人の生活水準が大きく向上したからだ。
それに日本人地主は、昔の両班たちよりもはるかに寛容だった。
両班のように小作人(ソチクイン)である常人を理不尽に苛める
ようなことがなかったし、不作のときには、小作料を安くして
くれた。
日本人地主のほうが、物わかりがよかった。
だから、日本人の地主は人気があった。
みんなは、韓国人の地主の小作人となるよりは、日本人地主の
小作人になりたがったのは、当然のことだった。
日本人のもとで働いていた常人たちは、羨望の自で見られていた。
日本人が所有していた農地は、独立後に、「敵産」(チョクサン)
としてすべて没収された。
しかし、日本人が今日の韓国農業の発展の基礎をつくった
ことは、否定できない。
乞食国家
■ 金文輯
数千年にわたる過去の朝鮮j、ことに李朝五百年史だけを
とりあげてみても、完全独立の道などは一場の夢にすぎないこと
はわが朝鮮自身の常識である。
いわんや、最近50年の世界史相を展望するとき、朝鮮が微弱
なまま一度自立してみようというのは最初から問題に
ならないのである。
現在も国を管理・運営出来ない
南北統一すら出来ない
■ 基鎬(加耶大学客員教授)
十九世紀から二十世紀初めの帝国主義、列強諸国の時代
暗愚の李朝両班階級は、その挑戦に直面
固唾を飲んだままで無為無策だった。
その失策は、あらためて糾弾すべきであって、
日本帝国主義の植民地へと転落したことについて、責任を他国
のせいにすべきではない。
大いに反省すべきなのにもかかわらず、今日にいたるまでいつ
までも錯誤を放置、愚純の感情に委せているわけで、今日の
ような歴史の初段は、当然再発すること、火を見るより
明らかである。
米・中バランサー・・蝙蝠政策
■ 高麗大学教授 金鉉球・鄭大均 「日本のイメージ」より抜粋
わが国の中・高等学校教科書を見ると
百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出て
きますが、その内容は日本古代史書である「日本書紀」を土台に
しているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)
ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして
古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)
地域を支配したという
「任那日本府説」を主張すると、韓国の学界ではそれは信じる
ことができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国
の学界を軽く見るのではありませんか、という身の程を知らぬ
質問をした。
そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が
「自信がないんだよ」とおっしゃった。
「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて
朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったように
なっている。
しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される
国際関係に関しては何の説明もされず、ただ高句麗・新羅・百済
の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日
優越意識だけを助長する結果をもたらせた。
外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑う
のも無理はない。
ウリナラファンタジー
■ 細井肇 著「漢城の風雲と名士」
(『政治史』第77巻、豚犬的生活五より)
「韓国内地を旅行すれば、路傍や街路中に累々たる黄金の花
(人糞の比喩)が場所も構わずにあちらこちらに咲き乱れいて
足の踏み場もなく潔癖な人は一目その不潔さと臭気の酷さに
驚くのである。・・・(中略)・・・
現に、この国(韓国)の中央都会である京城(ソウル)のような
「韓国の帝都」と言われる都市でさえ至る所に人糞や牛馬糞を
見ないことはなく、辺りに漂う恐ろしいほどの臭気は人の鼻を
襲い目を顰めない人はいない。
さらに京城市内(ソウル市内)を流れている川には
そこに隣接する各家々から排せつされる糞尿が混じり、川の
水は黄色に染まり、ドロドロとなっているなど目も当てられない
光景であるが、韓国人はその水を洗濯に使っている。
全く持ってとんでもない話である。毎年夏期になると京城(ソウル)
では伝染病が流行し、その伝染病にかかる患者の殆どが韓国人
であり、大流行時には何千人もの患者を出すことも
珍しくはない・・・」
■ 元京城控訴院判事 山口真昌氏の1908年6月の証言
(『朝鮮における司法制度の近代化の足跡』友邦協会編より)
「道路は非常に狭く、しかも糞尿は至るところ道ばたに落ちて
いるという有様でした。
井戸水は混濁していて、風呂に入れば茶色の湯で、かえって
身体が汚れるような感じで、飲料水は石油の空き缶一杯で何銭
(当時のお金の単位)で買ってきて使用すると言う状態で
(要するに飲料水は買わなければならなかったと言うこと)
電灯は今だ一般の家庭には普及しておらず、私たちが当時借家
としていた家にはその設備(電灯)が無いためランプを使用して
おりましたが、冬になると寒気が激しく、石油が凍って段々と
光りが薄暗くなり、仕事が出来ないほどでありました。」
クネクネ正論
ポチッとクリックお願い
↧
【アジア最貧国】日本に併合される前の朝鮮の姿 哀れな民族たち
↧