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【日中】中国メディア「なぜ日本人は中国に反感を持つのか、中国が日本に領土を要求した事は一度もない

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【日中】
中国メディア
なぜ日本人は中国に反感を持つのか?
日本は中国を侵略したが中国が日本に
領土を要求した事は一度もない
支那の朝鮮化が激しすぎる、まさか?
まねしてるの??馬鹿なの??

普通の中国人の目に映る日中関係
中国新聞網は、「普通の中国人の目に映る日中関係」
と題した記事を掲載した。
私は普通の中国人だ。
日中関係に対する理解にも限りがある。
私は中国に強くなってほしいと願っているし、アジアそのもの
がさらに強くなることを願っている。
日本と中国はアジアで最も強大な国だ。両国の関係がうまく
いかなければ、アジアの発展に重大な影響を及ぼすことに
なるだろう。
日本と中国は一衣帯水の隣国だと言われている。
文化や歴史、伝統のすべてにおいて「血縁関係」にある。
日本に何度か行ったことがあるが、日本人は穏やかで
礼儀正しく感じられた。
しかし昨年の世論調査では、中国に好感を持つ日本人は
わずか20%にすぎなかったという。

1980年代は70%であったのだから、どうしてこのように
なってしまったのだろうか。
中国が日本に脅威を与えたからなのか。中国が日本に領土
を要求したことはかつてない。

尖閣諸島が原因なのか。その帰属について国際法律文書
で明確に規定されていることはひとまず置いておくとしても
尖閣諸島は両国間の局部紛争にすぎないではないか。
中国の経済規模が日本を上回ったことが原因なのか。
中国の人口や国土面積、資源を見れば、アジア最大の強国
であることに驚きはないだろう。
歴史上、中国が世界最大の経済大国であった時期は少なく
とも数百年ある。
 その他の原因があるのか。私にはわからない。
日本と平和的に付き合いたいという中国の態度はずっと
変わっていない。
なぜ日本人は中国に反感を抱くように
なってしまったのだろう。

近代以降、日本が中国に最も大きな被害をもたらした国
であることは事実だ。
下関条約において、中国の数年分の財政収入を奪い去り
台湾および付近の島しょを占領した。
ロシアとの戦争を中国で展開し、満州事変以後の
侵略戦争で3000万人以上の中国人の命を奪った。

しかしながら今日に至っても
日本政府は侵略戦争を認めていない。
日本の政治家は一人また一人と靖国神社に参拝し
そのたびに、中国人の感情を傷つけている。

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=
80129&type=0

☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚* ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚* ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚* ☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*
お前ら中国人が日本に喧嘩売って
るんだろがwww ( ̄へ  ̄ 凸

どんだけ中国人はアホなんだ?
マジで計測不能wwwww
特定アジアはいう事が全く一緒 ( ̄∩ ̄#
第二次世界大戦後にアメリカに九州と
四国をよこせ
と言って蹴られたのを
忘れたか?(`・ω・´)
支那チョンの共通事項それは、両者とも国家と
いうよりも民族集団にもかかわらず
国家を最近標榜しだし、その成立の怪しさを
日本のせいにして国内を束ねようとする
なんちゃって国家集団  (=`(∞)´=)

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支那中共が知られた
         くない事実

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中国民衆を虫けらのように殺した
中国軍

中国軍と、日本軍の間には、大きな質的差異がありました。
それは、中国軍は同胞である中国民衆を行く先々で強奪し
また大量殺害
したのに対し、日本軍は行く先々で彼らを救済しようと
した
ことです。
中国では伝統的に、民衆とは、戦乱で虫けらのように殺される存在
であり、少なくとも権力者から愛護を受ける対象とはなって
いませんでした

梁啓超は
中国の民衆を「戮民」(りくみん 殺戮される民)
と呼んでいます。
たとえば、「国共合作」により共産軍と組んで日本との戦いを始めた
蒋介石の軍隊は、一九三八年、日本軍の進撃の道をはばもうと
黄河の堤防を爆破しました。このとき、大雨が降ったこともあって
一一の都市と、四千の村が水没し
水死者一〇〇万人その他の被害者六〇〇万人という大惨事
となりました。
しかも、それだけでは終わりませんでした。
この人為的水害の結果、黄河の水路が変わり、周辺に大飢饉が
広がったのです。
そして、被災地で食糧不足に悩んだ中国軍部隊は
民衆から食糧の強奪を始めたため、飢饉はさらに深刻化しました。
その惨状をみた当時のアメリカ人記者は、
道ばたには凍死者と餓死者があふれ、飢えた人々は
屍肉を食べていた

と報じています。
中国側はまた、事件直後から、堤防決壊を日本軍のしわざと
して宣伝もしていました。
しかし中国側のこの自作自演は、のちに外国人記者に
見破られています。
この堤防決壊のとき、日本軍兵士は一人も死にませんでした。
それはただ、中国人を大量殺戮しただけで終わったのです。
堤防決壊の直後、日本軍は堤防の修復作業を行なっただけで
なく、被災した民衆の救助と、防疫作業を行ないました。

日本軍は、中国軍から虫けらのように扱われた中国民衆を
必死になって救済したのです。
こうした中国軍の性格は、蒋介石の軍だけでなく
毛沢東の共産軍でも同様でした。
いや、共産軍はもっとひどいものでした
共産軍は、民衆から「共匪」(きょうひ)すなわち
共産主義の匪賊と
呼ばれていました。
それは彼らが行く先々で、民衆に略奪
殺人、強姦を働いたからです。

中国の軍隊は、共産軍でも国民党軍でも、基本的に軍隊と
いうより、ルンペンを寄せ集めたような集団にすぎなかったのです。
彼らが軍隊に入ったのは、占領地区で略奪が出来るため
食いっぱぐれがなかったからです。
ですから中国の司令官は、ある土地を占領すると
最低一週間は兵士たちの好きなように略奪や強姦をさせました。
また、そうしないと司令官が殺されてしまったからです。
日中戦争における戦闘は、たいていの場合、日本軍が攻めると
中国軍が撤退し敗走する、という形で進みました。
ですから、激戦地を除けば、中国側が宣伝する
ほど日本軍に殺された中国兵の死者
は多くはありませんでした。
むしろ中国兵の死者の多くは、国人が中国人を
殺したものでした

中国の軍隊というのは
兵士たちの後ろに「督戦隊(とくせんたい)
がいたのです

督戦隊とは、後ろで「敵を殺せ、殺せ」と叫びながら兵士たちを
戦わせ、逃げる兵士がいると、その兵士
を撃ち殺す中国兵です

つまり中国兵が中国兵を殺したのです
中国史家・黄文雄氏によれば、日中戦争時の死傷者は
日本軍によって殺された中国兵よりも、そうやって督戦隊に
殺された中国兵たちのほうが多かった
くらいだといいます。
また、中国兵は負傷すると、置き去りにされました。
ある戦場で、中国兵の一団が塹壕(ざんごう)の中で戦死していました。
それを発見した日本兵たちは、思わず涙を流したといいます。
なぜなら彼らの足には、逃亡防止のための鉄の鎖がつけられて
いたからです。
日本軍と中国軍とでは、質の上で
               それほどの差があったのです
日本兵らと遊ぶ中国人児童ら(1937年)
日本兵たちは中国の民衆からは温かく迎えられていた


道端に打ち倒されていた孫文の銅像に青天白日旗をかけてあげ
る日本兵。
中国の伝統文化への尊敬心から出た行為
である。
現地市民の間でも、日本軍は、シナ軍よりもよっぽど信用
できるとの評価を得ていた。

中国軍が通った地は至る所、はげたかの大軍が通ったように略奪
されました。
さらに彼らは占領地域を去るとき、日本軍に何も残さないように
するため、「焦土(しょうど)作戦」を取りました
つまり退却のたびに、道路や工場、橋、潅漑施設、その他の施設を
次々に破壊したのです。
そのため中国軍が通るところすべてが荒廃していきました。
彼らの行動の特徴は、略奪と破壊だったのです
それによって中国経済は破壊され、農業も工業も壊滅的被害を
受け、人民は苦しむばかりとなっていました。
とくに悲惨だったのは、民衆の大半を占める農民たちでした
一方、そのあとにやって来た日本軍は、当初から農民たちの救済と
中国経済の再建に取り組んだ
のです
日本軍が占領した地域は、中国本土の人口の約四〇%
また耕地面積の五四%に及びましたが、日本はすぐにその地域
での農業再建、道路や潅漑施設の復興、工場の再建などに
取り組みました。
日本は中国の住民の救済、治安維持、戦災復興などに取り組ん
だので、それまで軍隊とは匪賊にすぎないと思っていた中国民衆
は驚き、日本軍を熱烈に歓迎しました。
統率がとれ、略奪や悪事を働かず、民衆を救う軍隊というものを
彼らは生まれて初めて見た
からです。

 本当の「人民解放軍」は中国軍では
なく、日本軍だったのです。
日本が占領地域でとくに力を入れたのは、農民の救済でした。
日本政府はすでに一九三八年に中国での農業復興の計画を
発表し、実行に移しています。
それは日本・満州・支那(中国)の三国が相携えて、互助関係を
築くことを目的とした
ものでした。
それにより、日本の占領地域での農業は飛躍的に増大しました。
日本人技術者が中国農民に、日本の農業技術を提供していった
からです。
もちろん戦時下のため、悪戦苦闘はありましたが、それでも日本の
努力は多くのところで実を結んでいました。
 
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