ゼロ戦のプロペラに関して、実はアメリカの企業が
特許を持っていた。
ゼロ戦のプロペラに間して、実はアメリカの企業が特許を持っていた。
そこで日本の航空機製造企業は
その企業へ特許料を支払って製造を行っていた。
第二次大戦が始まって、その特許料の支払いが行えなくなり
支払いが中断した。
その後終戦、アメリカの企業はもう特許料の支払いは日本には
無理だろうと考えて諦めていた。
しかし戦後1年位たってから日本の企業から手紙が来て戦争中に
生産したそのプロペラを使って製造した航空機の数で
その数は有に1万機を超えていた。
そして手紙にはこう書いてあった
「これだけ生産したので特許料を請求してください。」
アメリカの企業は請求書を送った、そこに書いてあった金額は・・
たったの1ドルだった。
誠実心をわかってくれる アメリカありがとう。
アメリカは日本が東京裁判で主張した
「満州は共産主義とソ連を押し止める砦」が理解でき
日本に対するイメージは一変した。
これにより、それまでなかなか進まなかった講和条約
の交渉が一気に進行した。
そして、昭和26(1951)年9月8日に第2次世界大戦終結
のため講和条約が日本と連合国48ヶ国との間に結ばれた。
アメリカをはじめ、交戦国すべてが日本からの賠償を
放棄した。
それはいかにも日本の無罪を認めるようなものだった。
支那(中華民国)ですら1年後にしぶしぶだったが賠償を
放棄した。
日本が賠償したのは、戦場になり多大な迷惑をかけた
フィリピンやインドネシアなどのみである。
この講和条約締結によって賠償問題を含めた戦後処理は
すべて解決した。
したがって、今日、まともな普通の国の場合は、日本との
外交の場において戦争のことは持ち出さない。
卑しい民族たち
過去の戦争の話をするのは中共と朝鮮だけである。
(直接戦争をしていないのに??)
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