※韓国(ウンコ)
(日本という)味方を奴隷と誤認した時、事態は一変して坂道を転げ落ちていく。
人間であれ国家であれ、そうした転落をリセットすることは大変困難である。
対馬で1988年から毎年行われてきた「厳原港まつり対馬アリラン祭」は
「朝鮮通信使行列」という歴史パレードを目玉としてきた
(朝鮮通信使行列は1980年から実施)。
しかし、今年になって、対馬から盗まれ韓国に持ち込まれた仏像が返還され
ないという問題が発生。
これに激怒した対馬では、祭から朝鮮(韓国)色を消し、「対馬厳原港まつり」と
いう地元色の強いイベントを8月3、4日に開催した。
>「仏像を盗まれた観音寺の田中節孝・前住職は行列再開にあくまで
反対していく考えだ。
>実は25年前、アリランの名を祭りにつけることを発案したのは田中氏だった。
>それだけに裏切られたとの思いはぬぐえない。田中氏はこう断じた。
>『国家間で仲が悪くても地域レベルの交流で距離は縮まるはずだという
私たちの考えが甘かった。
>「仏像は韓国から盗まれた」というのは対馬が泥棒扱いされているわけ
でしょ。失礼にもほどがある。
>問題が解決しないのに行列を再開したら住民はみんなしらけますよ。
祭りは絶対に盛り上がらないでしょうね』」(産経新聞より)
最近の“嫌韓”が以前と違うのは、ベラルな日本人の静かな怒りが中心に
なっているという点だ。
一部の排外主義者だけが韓国を攻撃しているのではない。
韓国の異常な反日に対して、堪忍袋の緒が切れた多くの穏健な日本人が
怒りを表明している。
従来の韓国では、一部の極右日本人を攻撃することで反日という目的を
達成していた。
一方で、その他大勢の日本人は刺激しないように、反日の範囲は絶妙な
バランスで制限されてきた。
だからこそ、多くの日本人は韓国の猛烈な“敵意”に気づかず、事あるごとに
国家単位でお金をせびられても、「一部の極右日本人のせいで、われわれが
尻ぬぐいをさせられているなあ。
でも、日韓友好のためにはしかたない」と、やり過ごしてきたのである。
ところが、昨年に李明博大統領がこの「反日の作法」を破った。
これにより、多くの“鈍感”な日本人も、韓国の敵意に否応なしに気づかされる
こととなった。
さらに、「反日の作法」を逸脱したのは、李明博大統領の個人的な暴走では
なかった。
韓国は国家の意志として
日本を隷属させる“千年の大計”を定めたのである。
対馬から盗まれた仏像を返還しないと決定したのも、国家戦略の一環と言える
つまり、これまでは一部の極右日本人を攻撃しながら、日韓友好をベースに
反日によって日本からお金を吸い上げてきたのだが、これからは日本を
徹底的に叩き、“アジアの盟主”となった韓国に隷属させようというわけだ。
韓国に唯一の誤算があったとすれば、多くのリベラルな日本人が持っている
プライド(あえて“愛国心”とは言わない)だったのではないだろうか。
猫なで声を使ってつき合ってきたリベラルな日本人を“奴隷”として扱おうと
した瞬間、“ちょろい味方”だと思っていた連中が牙をむいてきた。
結果的に、韓国は日本を隷属させるどころか、リベラルな日本人のプライド
まで目覚めさせてしまった。
こうなると、一部の極右日本人だけを叩く戦術はもう通用しない。
日韓友好とセットになった反日という“外交の理想郷”を韓国は完全に失った
のである。
ただ、現状を「日本の右傾化」としか表現できていない韓国は、事態にまだ
気づいていないようにも見える。
同時に、日本のリベラルメディアも日本人の変化にまったく気づいていない。
いまだに一部の排外運動を針小棒大に取り上げたり、靖国参拝や極右的
“失言”で政治家を叩く記事を書きながら、せっせと日韓友好を主張している。
長年の敵を功利主義的に味方に変えることは可能だが、みずからの裏切り
行為によって長年の味方を敵に変えてしまった場合、それはもっとも厄介な
敵となる。
韓国が恐れるべきは一部の極右日本人ではなく、多くのリベラルな日本人
だったのである。
[東京産業新聞社 2013.8.15]
http://getnews.jp/archives/399019
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日韓友好とセットになった反日という“外交の理想郷”を韓国は完全に失った
のである。
ただ、現状を「日本の右傾化」としか表現できていない韓国は、事態にまだ
気づいていないようにも見える。
同時に、日本のリベラルメディアも日本人の変化にまったく気づいていない。
いまだに一部の排外運動を針小棒大に取り上げたり、靖国参拝や極右的
“失言”で政治家を叩く記事を書きながら、せっせと日韓友好を主張している。
長年の敵を功利主義的に味方に変えることは可能だが、みずからの裏切り
行為によって長年の味方を敵に変えてしまった場合、それはもっとも厄介な
敵となる。
韓国が恐れるべきは一部の極右日本人ではなく、多くのリベラルな日本人
だったのである。
[東京産業新聞社 2013.8.15]
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