戦前に
日本がタイに輸出したマッチャーヌ級潜水艦
の話題から。
マッチャーヌ級潜水艦はタイ初の潜水艦で、同型艦4隻が
日本で建造され、1938年(昭和13年)にタイ(当時はシャム王国)へ納入されました。
4隻とも三菱重工業神戸造船所で竣工された為、三菱型と
の呼び名も。
なお
日本が建造し海外に輸出した、唯一の潜水艦になります。
竣工に先立ち、118名のタイ海軍兵が日本で4ヶ月間訓練を
受けており、彼らの操縦により、神戸から3週間かけて
バンコクに到着しました。
1940年の仏領インドシナとの国境紛争では哨戒任務に
当たり、1945年のバンコク空襲後には搭載発電機で
市街に電力を供給。
大きな戦闘に従事することはなく
1951年に4隻とも退役しました。
現在は、1番艦の艦橋と単装砲がタイ海軍博物館に展示
されています。
過去に自国の海軍が潜水艦を所有していた事を知らない
方も多いようで、関連投稿にはタイの人々から驚きの声
が相次いでいました。
大戦中に三菱重工がタイの為に作ったんだよね。
潜水艦の一部はタイの博物館に展示されてる
「ありがとう、日本」エーゲ海で800人の難民を救った日本人の歴史秘話が話題に
日本とアルメニア&ギリシャの歴史秘話から。
1919年から3年間続いた希土戦争の終盤となる1922年9月8日
ギリシャ系とアルメニア系の難民は、政府からの救助を
得られないまま、トルコ軍によりトルコ西部の都市、イズミル
へ追いやられていました。
戦争末期の混乱下とあって他国の船が自国民を中心に
救出する中、当時イズミルに寄港していた日本の商船の
船長だけは、難民の救出に動きます。
当時船には絹やレースなど貴重な商品が積まれていた
のですが、船長は船員と共に積み荷の大部分を海に
投げ捨て、難民を乗せるスペースを確保。
その後難民を船に乗せ、ギリシャの海岸まで無事輸送しました。
船長の勇気ある決断により、800人の難民が命を救われて
います。
なお、その日本人船長の名前は、いまだに不明のままです。
100年近く前の出来事ながら、この件はギリシャで今も
語り継がれており、2016年7月には、ギリシャ難民の団体
「エスティア」により、敬意を示すプレートが西林駐ギリシャ
日本大使(当時)に授与されています。
朝鮮人は、恩はすぐに忘れ
仇として返す民族。