【AFP】ロシア・ウラル(Ural)地方南部で通常の1000倍近い
量の放射性物質が検出されたとの報告を受け
科学者らによる専門委員会が調査を開始することが
分かった。
ロシア国営原子力企業ロスアトム(Rosatom)が
明らかにした。
同国の原子力安全研究所が発表したロスアトムの声明
によれば、放射性同位元素ルテニウム106の発生源を
特定するために原子物理学者らが調査委員会を発足。
「ロシアと欧州の科学機関」の代表も参加する予定だという。
ロスアトムはこれまで
ロシア国内の核関連施設ではいかなる事故も発生して
いないと述べ、検出された濃度は脅威をもたらさないと
主張していた。
一方、ロシアの気象機関は
ウラル地方南部チェリャビンスク(Chelyabinsk)州
マヤク(Mayak)の核施設に近い観測所で9月下旬以降
「極めて高い」
濃度のルテニウム106が検出されたことを認めた。
Nucler Pollution in Ural RUSSIA
ロシア・チェリャビンスク核工場
旧ソ連は核兵器開発のため
1945年、このウラルの森の中にプルトニウム生産工場を
造ることを決めた。
テチャ川水系の豊富な水と秘密を守れる
ウラルの深い森は核兵器生産に最も適した土地だった。
計画から2年半で暗号名チェリャビンスク40
(現在はオジョールスク)という秘密都市が建設された。
ここは最近まで地図にも載せられていなかった。
現在も
ロシア人すら入ることができない秘密都市だ。
1948年最初の原子炉が動き出し、プルトニウムの生産
が始まった。
プルトニウム生産コンビナートは「マヤーク」(灯台)と
呼ばれた。
マヤークは3つの機能を持っていた。
1,ウランを燃やす原子炉
2,使用済み燃料からプルトニウムを取り出す再処理工場
3,プルトニウム金属加工する核燃料転換工場である。
ここから出た大量の液体放射性廃棄物はテチャ川に
垂れ流された。
垂れ流しは1949年から50年代半ばまで続き、放射能は
曲がりくねったテチャ川のよどみに滞留し沈殿し
周辺の村々を汚染したのだ。
放出された液体放射性廃棄物は275万キューリーに及ぶ。
テチャ川の周辺住民12万4千人が被曝し
白血病、ガン、先天性異常などで倒れて行った。
さらに、1957年の放射性廃棄物貯蔵タンク爆発事故,
1967年には液体放射性廃棄物を投棄していた
カラチャイ湖が日照りで干上がり放射性廃棄物が
粉塵となって風で運ばれ、2,700平方キロが汚染された。
このテチャ川流域には39の村があり、29万人が暮らしていた。
そのうち20の村、およそ1万人が理由を告げられないまま
強制的に移住させられた。
しかし、上流の村が移住させられず、そのまま取り
残された村があった。
そのひとつ、マヤークから78キロ、もっとも上流にある
ムスリューモボ村。
現在も4000人が暮らしている。
平均寿命は著しく低下し
村人の多くが心臓病や骨の痛みを訴えている。
村人の中には
「被爆データーを取るために残されて
いるのではないか」
と疑っている。