南朝鮮、建国は「1919年」 論争に終止符
文在寅
【ソウル聯合】
ソウルで開かれた光復節(日本による植民地支配からの
解放記念日)式典の演説で
「2年後の2019年は
大韓民国建国と(大韓民国)臨時政府樹立100年を迎える年」
と言及した。
日本による植民地支配下にあった
1919年の大韓民国臨時政府の樹立日を
南朝鮮の建国日と見なした。
1919年が韓国の設立年とすると、その後の1945年までの
26年間は日本による軍事占領、即ち奴らが最近造り出した
傑作造語「日帝強占期」を正当化。
これによって、日本が戦時中に行った「国家総動員法」に
基づく徴用や徴兵は、大韓民国国民を不当・不法に強制的
に動員して行った強制労働と言い張れる口実となる訳w
一応、奴らはそうした戦略に則って、こういうファンタジー史観
のねつ造を行って、それに基づくみたいな形式で
日本から「賠償おかわり」を狙ってるんだよw
あまり甘く見ない方が良いぞw
歴史を調べるにつれ、これがうそばかりだと
知りました。
あなたはこんな事を知っていますか?
日清戦争は
韓国の全羅道というところでおこった反乱(東学党の乱)の
広がりを恐れた高宗(皇帝)が清国に軍隊の派遣を
要請します。
協調関係により、清国の出兵は日本に出兵通知が来ます。
韓国に対する清国の影響力が強まる事を恐れた日本も
軍隊を派遣しますが、東学党の乱は和解が成立して
しまいます。
両軍共に留まる目的がなくなりますが、日本は撤退しません。
留まり続け、韓国の改正を日清共同で行うことを主張する
日本に対し、清国は改正は韓国に任せるべき問題だと
日本の思惑は一蹴されてしまいます。
日本は高宗の父親(前皇帝)を利用し、クーデターを起こし
成功させます。
新たに皇帝となった高宗の父親に、「日本に清国を倒して」
欲しいと」要請させます。
そして日清戦争になりました。
日本は日清戦争に戦争した事により、賠償金を始め
「清が朝鮮を独立国と認める」
「台湾・澎湖諸島・遼東半島を割譲する」
という成果を得ました。
日露戦争の原因の根源は
日清戦争です。
日露戦争の原因の根源は日清戦争です。
日本は日清戦争に勝ちました。
しかし、三国干渉で日本は思ったより良いものが取れま
せんでした。
その三国干渉で主に中心となったのがロシアです。
ロシアは日本のアジア進出を恐れていたので、
日本の獲得する領土を減らしたかったのです。
そして、日本もロシアの南下を恐れたいたのです。
そんな中、朝鮮では親清派だった勢力が新たな後ろ盾
として親露派へと転向、クーデターを起こし親日派政権を
倒すという事態に。
そして再び勢力争いが繰り広げられる中、親露派の筆頭
であり朝鮮王妃である閔妃が暗殺されるという事態にまで
至ります。(乙未事変)
王妃殺害という大事件に朝鮮の民衆も強く反発
闘争が各地で発生し日本人への襲撃が多発、完全に
泥沼と化します。
ロシアも朝鮮への勢力拡大を狙いこれに介入。
王(高宗)と王族をロシア公使館へかくまい、朝鮮王が
ロシア公使館で政務を取るという状態に。
この庇護と引き換えにロシア、それに続き列強は様々な
利権を獲得し、朝鮮における日本の影響力はまたもや
風前の灯となります。
その後朝鮮王は王宮に復帰し、独立をアピールする
為国名を「大韓帝国」に改め、ロシアからの脱却を
図りました。
しかし勢力拡大の為に協力していたロシアがはい
そうですかと撤退するわけもなく、朝鮮への勢力拡大を
更に推し進めます。
日本はこれに対し、イギリスと手を組みロシアと対抗
するという対英協調論が起こりました。
交渉を重ねた結果外交での解決が不可能と判断した
政府は開戦を決意、
ロシアへ国交断絶(事実上の宣戦布告)を通達し
ここに日露戦争が始まる事になります。
朝鮮と合併に合法的朝鮮の人達に望まれて
奴隷(奴婢)たちを解放してやった。