モスクワの赤の広場は
かつてイワン雷帝によって本当に赤く染まった。
ロシアがまだ国家としての形をとらなかった頃
一人の独裁者が現れた。
その独裁者は、国内にはびこる
敵対勢力を容赦なく粛正する一方、さかんに
領土拡張政策を行った。
彼の凄まじい気性と敵に対する残虐な態度は
異常なばかりであり、民衆は、畏怖の念を
抱き恐れおののいた。
その独裁者こそ
イワン4世、またの名を雷帝と称され、後世のロシア史に
暴虐を欲しいままにした皇帝として名を刻むことに
なった人物である。
「赤の広場」に、「共産主義の広場」というような意味が
ついたのは革命後のこと,もともとロシア語において
「赤→正義、白→悪」というような意味があったため
「正義の広場」→「赤の広場」という程度の意味だった。
で、革命軍が「正義の軍」→「赤軍」と称したため
「赤」が共産主義を意味するようになった、らしい 。
赤は、人民の血の色・・・
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【軍事雑学】信じられないが、本当だ「共産主義の“赤”の意味」
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