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賤民「日本は一度もウリナラが絶対に必要な時、望む時に助けてくれたことがない」

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朝鮮併合時代の真実


朝鮮併合
1910年(明治43年)8月29日、朝鮮併合ニ関スル条約
に基づいて
大日本帝国大韓帝国併合した事実を指す。
この後、日本による統治1945年(昭和20年)9月9日
朝鮮総督府が米国に降伏するまで、35年間続いた。


清朝の衰退に乗じて「支那の分割」を進めてきた
フランス・ドイツ帝国・ロシア帝国などの欧米列強は
日本に対し
先の日清戦争で清から割譲された軍事的要衝
遼東半島を清に返還するよう要求(三国干渉)
やむなく受諾した。
ここでおかしな事態が発生する。
日本が西欧列強による三国干渉に屈服したことで
朝鮮が帝政ロシアに接近したのである。
また、不凍港を目指して南下政策をとるロシアは
日本が返還した遼東半島を要塞化。
さらにロシアは
清で発生した義和団事件の混乱収拾のため
満洲へ侵攻し、全土を占領下に置くなど次第に
緊張は高まっていった。

当時、陸・海軍共に世界最強と言われたロシア帝国
との外交交渉は困難を極め
朝鮮半島を国防の要と位置づける日本は
会戦を決意。
両軍が激突した。日本軍は、世界各国の予想に
反して
黄海海戦・奉天会戦・日本海海戦など
苦戦しながらも連勝を重ねたものの
国家予算の3倍の戦費と88000余人の戦死者を
出すなど継戦能力は既に無く
ロシア革命に助けられて日露講和条約を締結した。、
これにより、満州南部の鉄道及び領地の租借権
大韓帝国に対する排他的指導権を獲得した。

【朝鮮併合】
ポーツマス条約の仲裁に入った
セオドア・ルーズベルト米大統領は
朝鮮は極度に無気力で、最低限の抵抗に及ぶ能力もない
名ばかりの要塞、軍艦、軍隊を保有しているが
考慮する価値もない
」と評するなど
日本による保護国化は主要国からの反対意見も出ず
承認された。

英米政府およびロシア政府から朝鮮半島に関する支配権
を承認された大日本帝国政府は

1905年(明治38年)
第二次日韓協約を大韓帝国と締結する。
この協約によって大韓帝国の外交権は
ほぼ日本に接収されることとなり、事実上、保護国となった。
日本に全面協力する態度を装っていた韓国皇帝高宗で
あったが
日本による近代化に反対する両班を中心とした暴動が続出。

これに焦った高宗は、1907年第2回万国平和会議に
密使を派遣(ハーグ密使事件)
条約締結は強制であり無効である」と訴えるという

裏切り事件が発生した。
しかし第二次日韓協約は当時の帝国主義国間
認められていた国際協約であったため、この訴えは不当
なものとして拒絶された



これ以降、皇帝高宗は急速に力を失ない、一進会の
勢力の台頭も相まって退位を余儀なくされた
1909年(明治42年)朝鮮初代統監 伊藤博文は高宗に
裏切られ、両班の安重根によって暗殺された

日韓併合に反対し、朝鮮との連帯によって
欧米帝国主義のアジア進出と対決する構想を描いていた
伊藤博文最後の言葉は「バカな奴だ…」だったという。


日清戦争の勝利によって朝鮮を清から独立させることには
成功したものの
大韓帝国は国論の不一致や国外からの干渉などから
独自に近代化を進められず
1910年(明治43年)8月29日「韓国併合ニ関スル条約」
に基づいて大日本帝国はついに「日韓併合」を
決定するに至った。



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