支那は近年 尖閣諸島をめぐる問題を沖縄全体まで拡大 沖縄で騒いでる土人の正体と
【ロンドン】
第二次大戦で米軍が沖縄戦を開始した直後の
1945年3月、支那国民党の蒋介石政権が
対外宣伝機関を通じて
明時代に遡って尖閣諸島を含む琉球群島(沖縄)の
領有権を主張していたことが28日
英国立公文書館所蔵の最高機密文書「ウルトラ」で
明らかになった。
カイロ宣言(43年)で琉球群島の領有権が日本にある
ことを認めながら
一転して日本が不法に占拠した領土で放棄すべきだと
訴えたとしている。
駐重慶のフランス大使が本国パリの外務省に送った
「支那が琉球群島の領有を主張」と題する電報を
英ブレッチリー・パーク(政府暗号学校)が傍受
解読し「ウルトラ」にまとめた。
それによると
仏大使は、沖縄戦開始に関して、国民政府財政部の
機関紙である「時事新報」が
「(琉球)群島の歴史を顧みて、明時代から19世紀末
(日清戦争)まで支那に属していた」
と明言していると報告。
「時事新報」はまた
琉球群島について「カイロ宣言で支那に返還されるべき
(満州・台湾・澎湖諸島などの)領土に含めなかった
ため、連合国側が日本の合法的領有権を認めた」
と指摘。
連合国の対日基本方針であるカイロ宣言で日本領有
の合法性が認められたとした上で
「われわれは歴史の恥ずべきエピソードを抹消したい。
この議題は議論されることが必要だ。
(琉球)群島は、日本が戦後放棄すべき
不法に占拠された領土の一つ」と訴えている
と仏大使が本国に伝えた。
「時事新報」は20世紀初め上海で創刊。
37年の日中戦争勃発後
重慶に移り、民間の形を取ってプロパガンダ(対外宣伝)
活動をしており、蒋介石・中華民国国民政府主席の指示
で琉球群島の領有権を主張したとみられる。
大戦後上海に戻り、復刊したが49年5月
共産党により廃刊された。
琉球群島をめぐっては
43年11月のカイロ会談で蒋介石主席は
ルーズベルト米大統領から領有を持ちかけられたが
拒否。
後日後悔したという。
【カイロ宣言】
米英ソ3巨頭が初めて会談したテヘラン会談に
先がけて1943年11月下旬にカイロで
ルーズベルト米大統領、チャーチル英首相
蒋介石・中華民国国民政府主席が数日間会談し
12月1日に発表された連合国の対日基本方針。
第一次大戦開始以降日本が奪取、占領した
太平洋の全ての島は取り上げられ
満州・台湾・澎湖諸島の支那への返還、朝鮮の独立
日本に無条件降伏を要求することなどが
定められた。
このため沖縄戦開始の混乱に乗じて「時事新報」で
再度領有権を主張したとみられる。
琉球王国が中国王朝に朝貢を行う「冊封国」で
「明清両朝時期に属国だった」とし
「独立国家だった琉球を武力で併合した日本は
沖縄に合法的な主権を有していない」と主張。
し対日攻勢を強めている。
支那外務省が1964年、米国の施政下にあった
沖縄の主権について毛沢東主席の意向に沿い
「当然日本に返還されるべきだ」という
外務次官の談話を作成した上
各地の大使館などに電報で送り、外交官に指示を
徹底させていたことが分かった。
支那外務省档案館(外交史料館)で外交文書
として収蔵された電報の原文コピーを閲覧した。
支那共産党機関紙・人民日報は
沖縄をめぐる主権について「未解決」と主張する
研究者の論文を掲載した。
しかし、49年の中華人民共和国の成立以降
支那は沖縄に対する領有権を唱えておらず
この電報は、沖縄の日本帰属を支那が認めて
いたことを示す証拠の一つと言えそうだ。
カイロ宣言反故www。
な、支那畜だろ 。
目的が露わになってきましたね
やーっぱ支那畜が
手引きしているんだよ www。
時事通信が