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尖閣諸島が日本固有の領土である根拠をおさらい

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沖縄県石垣市に位置する尖閣諸島周辺には
魚釣島(尖閣諸島の支那名)は支那の領土」と主張する
支那船が頻繁に出没。

日本政府は尖閣をめぐり、日中間に「領有権問題は存在しない」
としているが、その根拠とは―。

《尖閣諸島》

東シナ海南西部に位置し、魚釣島や大正島、久場島など
から成る島嶼群。

沖縄県石垣市に属する。

日本政府は1895(明治28)年に沖縄県への編入を閣議決定
実業家に無償貸与した。

戦前はかつお節工場などがあったが、1940(昭和15)年ごろ
に無人島に。

魚釣島、北小島、南小島の3島は長く民間人が所有
国が賃借契約を結ぶ形で管理してきたが、2012(平成24)
年9月11日に国有化された

尖閣諸島の位置


尖閣諸島が「日本固有の領土」
           である根拠とは?(政府見解)

【根拠1】
1895年から国際法上「先占」

日本政府は「1885(明治18)年から
日本政府が現地調査を行い、尖閣諸島が無人島である
だけでなく、清国の支配が及んでいる痕跡がないことを
慎重に確認した上で、95(同28)年1月14日に現地に
標杭を建設する旨の閣議決定を行って
正式に日本の領土に編入した」と述べている。

尖閣諸島、「日本固有の領土」である2つの根拠

《先占》

「いずれの国家にも属していない地域を領有の意思をもって
実効的に占有すること」で、国際法では国家が領有権を
取得する方式として割譲や併合などとともに認められている。


【根拠2】
サンフランシスコ講和条約第2・3条

第二次大戦後、1951(昭和26)年に締結し翌年発効した
サンフランシスコ講和条約の第2条には、日本が日清戦争で
清から割譲を受けた台湾と澎湖諸島を放棄すること
そして第3条には、北緯29度以南の南西諸島などは
日本の主権を残して米国の施政下に置く
ことが
明記された。

1972年沖縄返還協定により、地図上の直線で囲まれた区域内のすべての島が返還された。この対象区域に尖閣諸島も含まれている(外務省ホームページより)

1972年沖縄返還協定により
地図上の直線で囲まれた区域内のすべての島が返還された。
この対象区域に尖閣諸島も含まれている。
(外務省ホームページより)

政府の根拠を裏づける
        「日本の有効な支配」(政府見解)

■編入後、日本の民間人が移住し事業を展開

1895年に日本に編入した翌年の96(明治29)年9月
政府は、尖閣で事業を展開していた実業家の古賀辰四郎氏
に魚釣島など4島の30年間無償貸与を決定。

辰四郎氏は尖閣諸島に移民を送り
          鳥毛の採集やかつお節の製造などを行った。

■1932年、4島が民間人の手に

1918(大正7)年に古賀辰四郎氏が死去した後は
息子の善次氏が事業を継続
32(昭和7)年には4島が有償で払い下げられた。

40(同15)年に善次氏が事業継続を断念し
無人島となった。

政府の根拠を裏づける
        支那の地図。

1970年代まで
支那の地図は「日本の領土」扱い

日本に編入した1895年から東シナ海に石油埋蔵の可能性
が指摘された1970年代まで
支那政府は、日本の尖閣諸島の実効支配について
一切異議を唱えなかったと日本政府は述べている。



同時に政府は
70年代までの支那共産党の機関紙や支那の地図において
尖閣諸島は日本の領土として扱われてきたと主張する。

尖閣諸島〔外務省HP〕

《1969年の地図》

1969年に支那政府が発行した地図は
自民党の原田義昭衆院議員が入手し、2015年2月23日の
衆院予算委員会で紹介したもの。

原田氏は日本の国土地理院に該当する支那の部署が
出版したと指摘。

また、毛沢東の語録が載せられているとも説明した。


69年製中国地図に「尖閣=日本領」 外務省が公表へ

支那側は
棚上げ合意」を
“根拠”に領有権を主張

■支那が主張する「棚上げ合意」とは

支那が尖閣諸島の領有権を主張する際に
“根拠”とする日中間での合意。

支那が「合意」の主な根拠としているのが
1978(昭和53)年の日中平和友好条約交渉時
の会談。

同席した外務高官によると、会談は条約の意義など
をめぐるやりとりの後
当時の当時の最高実力者トウ小平が尖閣に触れ
「数年、数十年、100年でも脇に置いておけばいい」と
“棚上げ論”を語り始めたという。

支那はこれに日本側が合意したと主張している。

尖閣「棚上げ合意」 支那“放っておく”が変質

日中平和友好条約批准書を交換し握手する黄華外相(左から2人目)と園田直外相。左端は鄧小平副首相、右端は福田赳夫首相(いずれも肩書は当時)=1978(昭和53)年10月23日、首相官邸

日中平和友好条約批准書を交換し握手する黄華外相
(左から2人目)と園田直外相。
左端は鄧小平副首相
右端は福田赳夫首相(いずれも肩書は当時)
=1978(昭和53)年10月23日、首相官邸

■支那政府、ウェブサイト
「釣魚島-支那固有の領土」開設

サイト「釣魚島(尖閣諸島の支那名)-支那固有の領土」
は2014年12月30日、支那国家海洋局が開設したもので
支那側の主張を裏付けるとする
古地図や文献、国内外の論文リストを掲載する。
15年3月4日には、日本語版と英語版も解説した。

挑発活発化か 
「尖閣」で日本語・英語版サイト「支那固有の領土」の主張と今後

中国国家海洋局が開設した尖閣諸島のサイト

支那国家海洋局が開設した尖閣諸島のサイト






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