対馬の人々
「私たちは、朝鮮人」…朝鮮語を常用していた
200年前の対馬「我々は朝鮮人である」
ヒョンジョン僧侶「日本表示録」完訳
約200年前日本の対馬人たちが自分たちも朝鮮人だと話した証言
を盛り込んだ当時、朝鮮の僧侶の日本漂流記がハングルで
翻訳された。
東国大出版部は1817年11月、慶州で造成した千個の仏像を
海南に運搬していたところ、釜山沖合で台風にあって漂流し
日本の長崎に停泊して滞在した対馬、対馬)を経て
7ヵ月ぶりに帰ってきた全羅南道和順の双峰寺の
ヒョンジョン僧侶が書いた「日本表示録」を
9日、完訳出版した。
日本に滞在しながら見て聞いたことを書いたこの本で
ヒョンジョン僧侶は「対馬の人々はほとんど朝鮮語が長けていた。
私を見に来た人の大半が『我々も朝鮮人だ』とした。
普段の言語は朝鮮語と日本語であり
一度も日本を本国と言ったことがなかった。
だいたい日本と異なり
日本の純臣(純粋の臣)ではなかった」と書いた。
彼は「韓国に到着した後、東莱人たちの話を聞いてみると
対馬は本来私たちの領土であり、その人たちも
韓国の子孫とした。
そのために対馬人たちが来て「私も朝鮮人」だと
話していたのだ」と説明したりもした。
この本は、東国大学出版部が10年を目途に開始した
漢文仏教文献323本のハングル翻訳作業のうち
初めて完成した7冊の一つだ。
おまエラ漢字ひとつ読めないし
愚民文字に翻訳した時点で
都合の良い捏造ファンタジーに
なるだろうが 原文に失礼だゾ
済州島(旧・耽羅国)大宅壮一著
「炎は流れる」より
「1700年代八代将軍吉宗の時代に
対馬藩・毛利藩に仕えた松原新右衛門が
当時の済州島について
次のように述べている。
『九州の五島(列島)の先に済州島という
のがある。
この島の住人は、たいてい日本語を用い
日本の歌を歌っている。
いまは朝鮮の領土になっているが
もともと日本から来たものが多く住んでいる。』」
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朝鮮の朝鮮による朝鮮の為の捏造本ww
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