イザベラ・バード(Isabella Lucy Bird,
1831年10月15日 - 1904年10月7日)
イギリスの女性旅行家、紀行作家。
明治時代の東北地方や北海道、関西などを旅行し
その旅行記"Unbeaten Tracks in Japan"(日本語題『日本奥地紀行』
『バード 日本紀行』)を書いた。
また4度にわたり李氏朝鮮を訪れて『朝鮮紀行』を
書いたことでもしられる。
フルネームは
イザベラ・ルーシー・バードで、1881年に妹の侍医であった
ジョン·ビショップと結婚。
1881年以降イザベラ・バード・ビショップ(Isabella Bird Bishop)
ビショップ夫人とも称す。
韓国=南朝鮮
韓国政府は、英国の女性旅行記家イザベラ・バードの
「朝鮮紀行」を捏造し、自国国民まで騙しまくっています。
韓国は、「自分達の惨めな歴史」を隠したくて
イザベラ・バードの「朝鮮紀行」を打ち消すために
韓国延世大学から1997年に出版された
「Korea andHer Neighbors」に
「李氏朝鮮時代は清潔で、人々はとても快適かつ豊かに
くらしている」と“捏造”しています。
またNYタイムズからも「朝鮮紀行の実本」とは、全く異なった
改ざん本が出版されています。
そこには「100年前のソウルは近代化されていて、東洋一
きれいな都市」と書かれています。
朝鮮人は
「整形前の醜い顔を知られたくなくて、もともと美人だった」と
世界に向かって叫んでいます。
『朝鮮紀行』
時は李王朝の末期から日清戦争、そして日韓併合(1910-45年)
前の時期である。
朝鮮の社会と民族性
・朝鮮の国民を分けるとしたら、「盗む人」「盗まれる人」
の2つしかない。
・「搾取する人」は役人 「搾取される人」はそれ以外の
国民である。
・一生懸命努力してほんのわずかな金でも蓄財したことが
知られれば、役人が全てを搾取していく。
・ぎりぎりに暮らしていけるだけの収入を得ればよいので
それ以上働こうとしない。
・生活の向上がみられず、みんな貧しいままである。
・朝鮮は自国による改革はもはや不可能であり、他国に
よる改革し方法はなかった。
日清戦争後李朝末期の日本のかかわり
・過去の歴史から朝鮮人は
とことん日本人が嫌いであった。
・当時日本は朝鮮を植民地化して統治しようとは
考えていない。
・あまりの政治腐敗ぶりに日本の政策を浸透させる
のには困難を極めた。
・微に入り、細に入り指示することになり、一層反感を
かったが、日本のやり方は悪くはなかった。
生活の状況について
・1894年当時ソウルは世界一汚い都市である。
(英国では「ソウルは世界一きれいな都市である」という
記述のものと、二種類の「朝鮮紀行」が存在するらしい。)
・両班と言われる貴族階級は、役人か教師しか職業がなく
ふらふら町ですごす人々が多かった。
・女性は最下層の人が外で働くことがあっても、ほとんどの
夫人は家の奥に蟄居させられていて、女性自身は
そうされることは大事にされていると感じていた。
・外の世界、ソウルの街さえも見たことがない人が多い。
・当然男尊女卑である。結婚は親が決めた人とし
息子の嫁の手助けを得るまでは朝から夜遅くまで働き
身なりに気をまわすことなどできなかった。
・女性で教育を受けることが出来るのはキーセンのみ
であった。
大事な賓客をもてなすキーセンは客と同じレベルの
話題についていけるように、国の運営する養成学校で
歌舞などとあわせて教育を受けた。
風土について
・朝鮮の自然、山、川、草木、花など、美しいと感じ
その記述も多い。
・虎がたくさんいた。人々は恐怖のため、暑くても窓を
開けて寝ることはなかった。
遠慮のない好奇の目にさらされ、ゴキブリや虫の多い
宿とはいえない場所に寝泊まりし、ほこりっぽさ、汚れに辟易
とし、外国人というだけで阻害されながら旅をした。
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