ナチスドイツ兵を恐怖に陥れたソ連の「夜の魔女」…
女子115人からなる第46親衛夜間爆撃航空連隊!
「夜の魔女」とナチスドイツ兵に呼ばれ
「夜の妖女」とフランスの飛行連隊ノルマンディ・ニーメン
のパイロットに呼ばれ
「妹」とソ連兵に呼ばれた女子連隊の飛行中隊は
女子のみで編成され、ナチスドイツ兵を恐怖に陥れた。
大祖国戦争(独ソ戦)開戦後まもなく、ソ連政府のもとには
飛行クラブ、飛行学校、輸送航空隊の女性パイロットから
大量の手紙が届いた。その内容は、男性兵士と同じように
戦うために、前線に自分たちを送ってくれと懇願する
ものだった。
また、ツポレフANT-37爆撃機「ロヂナ」でモスクワ-極東
間を無着陸飛行したソ連の英雄マリーナ・ラスコヴァは
特別な女子連隊の編成を提案した。
この提案は真剣に受け止められ、検討が約束されたが
世界の空軍ではまだそのような前例がなかったことから
反対意見が多数あった。
そんな中、手紙はたまる一方だった...
http://jp.rbth.com/society/2015/05/08/52833.html
ラスコヴァは最終的に
スターリンから女性連隊の編成を許され、1941年秋には
志願兵の募集が始まる。
集中訓練後に、世界で唯一の夜間爆撃の女子下部組織
第46親衛夜間爆撃航空連隊が結成された。
連隊に下された最初の命令は、前髪を耳の半分の長さ
まで残した、少年風ヘアスタイルにカットすること。
三つ編みを残すには、ラスコヴァからの個人的な許可が
必要だったが、このような”くだらないこと”で
有名なパイロットに手間をかける兵士はいなかった。
1942年5月27日、17歳から22歳までの女子115人からなる
航空連隊「夜の魔女」が前線に到着し、6月12日には
最初の出撃が行われた。
■爆弾にしたためる仲間の名
隊員は、「トウモロコシ」や「棚」と呼ばれる、小さくて遅い
複葉機「Po-2」で飛んでいた。
戦前は練習機であった。
プレキシガラスの風防のついたオープン・コックピットは
銃弾だけでなく、強風からも乗員を守ることができなかった。
無線通信もなく、速度はわずか時速120キロメートル
高度は3キロメートルだった。
唯一の武器はTT拳銃。
1944年になってようやく、機関銃がこれらの航空機についた。
爆弾倉はなく、爆弾は航空機の腹部に直接つりさげられた。
Po-2はたくさんの爆弾を持ち上げることはできなかったが
標的への攻撃の精度は高かった。
小型爆弾の場合は航空士が膝に抱え
機内から放り投げていた。
隊員は夜間、10回離陸、飛行し、エンジンをオフにして
静寂の中で敵に爆弾を落とした。
また、パルチザンのために、薬、弾薬、食料、郵便物
などの貨物も運んだ。
Po-2の構造が木製フレームと合板張りだったことから
ナチスドイツ兵はPo-2を「ロシアの合板」と呼んでいた。
1機撃ち落とすにつき、ドイツのパイロットは最高勲章
「鉄十字」を受章していた。
隊員は爆弾に「母国のために!」と書いていたが
仲間が戦死するようになると、「リュバのために!」
「ヴェラのために!」と仲間の名前を書くようになった。
■夜の魔女はどんな人たちだったのか
Po-2の乗員はパイロットと航空士から構成されていたが
航空士は主に女子大生だった。
ポリーナ・ゲルマンはモスクワ大学歴史学部
イリーナ・ラコボリスカヤはモスクワ大学物理学部
ライサ・アロノワはモスクワ航空大学で学んでいた。
3人は講義を行い、雑誌を発行し、また誌を書くなどして
特別な空気を連隊に吹き込んだ。
第46親衛夜間爆撃航空連隊の隊長は
エヴドキヤ・ベルシャンスカヤ。
女性唯一のスヴォロフ将軍勲章の所有者だった。
ベルシャンスカヤ隊長の連隊は終戦まで戦い抜いた。
戦争中
第46親衛タマン赤旗勲章・スヴォロフ勲章航空連隊の
隊員は、約2万4000回出撃した。
隊員は戦勝の日をベルリン近郊で迎え、この幸せな日まで
生き延びることのできなかった仲間のことを考えた。
母国のために英雄的な死をとげた33人の女子たち..
.9人の隊員はソ連の英雄になった。
魔女飛行隊って、軍事関係ではけっこう
有名なんだけど、プロパガンダに利用され
貧弱な兵器で多数の犠牲を出した
気の毒な話しってだけだ (`・ω・´)
>「妹」とソ連兵に呼ばれた
(゚д゚)ピクッ!
ストライクウィッチーズだな。
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