「機雷掃海のみ」あり得ず
=朝鮮党の枝野
朝鮮党の枝野は、記者会見で、安倍晋三首相が
憲法の禁じる海外派兵の例外は中東・ホルムズ海峡
での機雷掃海以外
「念頭にない」と答弁したことについて
「機雷の除去だけというのは論理的にあり得ない。
明らかにうそつきだ」と批判した。
以下略、全文はソースへ
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150527-00000082-jij-pol
論理的にありえない?
せめてそこは「現実的にはありえない」
とか言えよwww朝鮮人。
こいつ日本語不自由だな (‐^▽^‐)
震災の時嘘ばっかりついてたのは誰よ
旧海軍出身者が強いられた「肉弾掃海」(´д`lll)
「命1万円で買います」
こんな見出しが新聞に登場したのは
終戦の年(1945年)の冬だった。
港が使えるようにならなければ復興は
始まらないが「安全宣言」を出すまでに一体あと
どれくらいかかるのか見当もつかず
休日返上でひたすら掃海作業を進めている最中
のことだ。 「試航船乗員募集」新聞記事はそう続く。
「試航船」とは自ら危険海面を航海し、触雷することで
機雷を処分しようというものであった。
「肉弾掃海」と呼ばれ、破格の待遇と別途危険手当1万円
が付けられた。
民間船は戦時中に多くの犠牲者を出した経験もあり
労働組合が力をつけていたことから
結局、この危険な仕事を引き受けたのは
旧海軍出身者たちだったのだ。
誰もが躊躇(ちゅうちょ)しなかったと言えば嘘になるだろう。
しかし
「やはり俺たちがやらねば」と立ち上がった人たちがいたのだ。
当時の回顧録には
「多くの戦友が眠る海に、もう一度行かねばならぬ」
とある。
日本の価値観はガラリと変わったが、実際に復興を
助けたのはこうした自己犠牲の精神だったのだ。
日本人はあたかも自然に国が立ち直ったかのように
思っているようだが違うのだ。
今でも関門海峡にはMk25機雷が
ゴロゴロあるんだろ?(。・ε・。)
Mk25機雷 航過係数装置(回数起爆装置)
起爆条件を何回か経過した後に起爆するように
設定できる装置。
1回や2回の掃海で全ての機雷を処理される事を防ぎ
掃海作業の手間と時間が数倍に膨れ上がった。
東亜丸 (飯野海運) - Wikipedia
戦争は終わったが
日本近海には飢餓作戦で投下された機雷が多く残されていた。
戦争末期から掃海を行っていたが、投下された機雷のうち
磁気水圧機雷は投下したアメリカ側ですら
「掃海不可能」と言うほどの難物であった。
そこで、GHQは試航船を活用して磁気水圧機雷を
探り当てて掃海することとし、因島にいた
「東亜丸」がその第一号船として指名された。
1946年(昭和21年)1月から「東亜丸」は舷側に
GP-1 (ギニア・ピッグ1号)と表示し、バラストとして
海水5,000トンを積み込んで、当初は固有船員
昭和21年3月からは旧海軍軍人が乗り組んで
関門海峡や瀬戸内海で運用された。
幅1,000メートルの海域で100メートル幅につき
水深20メートルまでは4回
40メートルから50メートルの水深では9回
50メートルから60メートルの水深では15回
と航過回数が定められ、船体に通電しながら
磁気水圧機雷の有無を探知していった
「東亜丸」は幸いにして事故はなく、1947年(昭和22年)
12月に試航船としての任務を終えた。
考えついたのもやらせたのもGHQ
なんですけど(* ̄Oノ ̄*)
まさに鬼畜米国www。
安保法制議論以前に知るべきは
「人任せで得られる平和はない」
ということではないか。
人気ブログランキングへ1日1クリックで応援してね
1日1クリックで応援してね