ポルトガル北部ポルトに19世紀
商業組合本部として建設された「ボルサ宮」で壁画を修復中
絵の下に徳川家の家紋「葵(あおい)紋」が描かれていた
ことがわかった。
東京大学史料編纂(へんさん)所の
岡美穂子助教(日欧交渉史)によると
幕末、海外で葵紋は王権の紋章ととらえられており
1865年に開かれたポルト国際博覧会に
外国奉行の贈り物を携えた代表が出席した
記念と考えられる。
この修復作業は昨年8月に始まった。
天井沿いの壁に欧州の名家を中心とした紋章の絵が並ぶ
「紋章の間」で、一つの紋章に斜めから光を当てたところ
その下から別の紋章を発見。葵紋と酷似していたため
在ポルトガル日本大使館経由で岡助教に連絡があった。
江戸幕府は1860年
ポルトガルと修好通商条約を締結。幕府が62年に欧州に
初めて送った使節団も同国に立ち寄り、ポルト国際博覧会には
元・駐神奈川ポルトガル領事が出席したという。
ボルサ宮は60年頃に内装工事を始めており、博覧会に
出席した国に関係する紋章を描いたとみられる。
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