アジア民族の誇り
日本の掲げた理想大東亜共栄圏樹立
についての各国要人のコメント
アーノルド・J・トインビー(イギリス、歴史学者)
大東亜戦争において、日本人は日本のためというよりも
むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を
残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命
な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の
面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が
過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でない
ことを明らかに示した点にある。
H・G・ウェルズ(イギリス、歴史学者)
「この大戦は植民地主義に終止符を打ち、白人と有色人種との
平等をもたらし、世界連邦の礎石をおいた。」
バ・モウ (ビルマ元首相 独立宣言より)
「歴史的に見るならば、日本ほどアジアを白人支配から離脱
させることに貢献した国はない。真実のビルマの独立宣言は
1948年の1月4日ではなく、1943年8月1日に行われ
たのであって、真のビルマ解放者はアトリー率いる労働党
政府ではなく、東条大将と大日本帝国政府であった」
約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を
失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争
を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得る
あらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。・・・ビルマ人は
徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる
物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式
までも失い・・・愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄
流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり
これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。
・・ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望
しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。
ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への
感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・」
ダグラス・マッカーサー(アメリカ、日本占領連合軍最
高司令官・元帥)
日本の潜在労働者は、量においても質においても、私がこれ
まで知っている中の最も立派なものの一つである。しかし
彼らは労働力はあっても生産の基礎素材を持たない。日本に
は蚕のほかに取りたてていうべきものは何もないのだ。
日本人は、もし原材料供給が断たれたら(経済封鎖されたら)
一千万から一千二百万が失業するのではないかと恐れていた。
それ故に、日本が大東亜戦争に赴いた目的は、そのほとんどが
安全保障のためであった。
昭和25年10月トルーマン大統領に対して「東京裁判は
誤りであった」と告白。さらに昭和26年に米国上院において
「日本がおこなった戦争は 正当防衛であり侵略戦争では
なかった」と公式に証言。
ハミルトン・フィッシュ(政治家「悲劇的欺瞞」
(TragicDeception1983))
ルーズベルト大統領は、その絶大な権力を使って遂に米国を
日本との戦争に巻き込むことに成功した。そのことは、米国
を欧州における戦争に参戦させるという彼の最終的な目的を
達成させた。
ジョイス・C・レブラ女史(アメリカ、コロラド大学)
大東亜戦争下、アジア諸国に進駐して行った日本軍政の最大の
特徴の一つは、各国の青年を教育し、組織し、独立精神を振起
した点にある。その遺産は戦後も様々な形で生き続けている。
ロスロップ・スタッタード(アメリカ、歴史学者)
すでに四百年の間、連続的勝利によって、白人は本能的に自己
の膨張は無限に継続するものと信ずるに至った。1904年の
日露戦争以前には、自己の膨張が停止するというような思想は
白人千人中の一人にも考えがおよばなかった。(中略)
1900年は、四百年間みなぎりきった白人潮勢の頂点
であった。
白人はその時、威名と実力の頂上に達したのである。
その後わずか四年にして日本は猛然起って露国に抗し
旅順港に巨砲弾を浴びせて世界を驚かした。
その刹那に白人の退潮が始まった。
ジョージ・S・カナヘレ(ハワイ日本経済協議会事務局長
政治学博士)
日本占領軍がインドネシア民族主義のために行った種々の仕事
の中で、最も重要なものの一つは、正規軍及び准軍事組織を
創設して、それに訓練を与えた事である。(中略) インド
ネシア人が軍事訓練を受けたことの意義は極めて重要なもの
であった。これが後のインドネシア革命軍の大部分の将校と
何千の兵士となり、復帰してきたオランダ勢力と独立戦争を
戦う際の基盤となった。日本によって与えられたこのような
機会がなかったならば、戦後のインドネシア民族革命の経過は
違ったものになっていた。
ラグ・クリシュナン(インド、大統領)
インドは当時、イギリスの不沈戦艦を沈めるなどということは
想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本が
見事に撃沈もした。驚きもしたが、この快挙によって東洋人
でもやれるという気持ちが起きた。
ラダ・ビノード・パール(インド、極東国際軍事裁判判事
法学博士)
日本が戦争にふみきったのは「侵略のためではなく」独断的な
政策をとった西洋諸国によって挑発された為であり、「東京
裁判は正義の実現ではなく勝利者による復讐」であるとし
「日本は国際法に照らして無罪である」と主張したが
その主張を法廷で述べることを許されなかった。
欧米諸国は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとど
めることによって自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると
同時に、日本の一七年間(昭和3~20年、東京裁判の
審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であった
にちがいない。
私は1928年から1945年
までの一七年間の歴史を二年七ヶ月かかって調べた。
この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の
張本人であるということがわかるはずだ。
それなのに、あなた方は自分らの子弟に
「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか
私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の
子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に
流されていくのを私は平然として見過ごすわけには
ゆかない。あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。
あやまられた歴史は書き変えなければならない。
ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代
インド首相)
チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍
《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち「これら立派
な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった
彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段
であった。余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を
疑わない」と述べた。
アリフィン・ベイ(インドネシア、政治学博士)
日本に占領された国々にとって、第二次世界大戦とは、ある面
では日本の軍事的南進という形をとり、他面では近代化した
日本の精神的、技術的面との出会いであった。日本が戦争に
負けて日本の軍隊が引き上げた後、アジアに残っていたのは
外ならぬ日本の精神的、技術的遺産であった。この遺産が
第二次大戦後に新しく起こった東南アジアの民族独立運動に
とって、どれだけ多くの貢献をしたかを認めなければならない。
日本が敗戦国になったとはいえ、その精神的遺産は
アジア諸国に高く評価されているのである。その一つに
東南アジアの教育に与えた影響があげられる。(中略)
(日本は)目標達成のためにどれほど必死にやらなければ
ならないかということを我々に教えたのであった。この
必死の訓練が、後のインドネシア独立戦争の時に
役立ったのである。
ブン・トモ(インドネシア、元情報・宣伝相)
我々アジア・アフリカの有色民族は、ヨーロッパ人に対して
何度となく独立戦争を試みたが、全部失敗した。インドネシア
の場合は、三百五十年間も失敗が続いた。それなのに
日本軍が米・英・蘭・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめして
くれた。我々は白人の弱体と醜態ぶりをみて、アジア人全部が
自信をもち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して
崩壊しない。日本が敗北したとき、”これからの独立は自力
で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる”
と思っていたが、独立は意外にも早く勝ち取ることができた。
ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相)
日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対し
ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶
に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。
あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と
同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったで
はありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。
大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも
その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」
玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく
「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと
大きくアジアに眼を開いてください。現在、日本は南方の
発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押されぬ
アジアの経済大国ではありませんか。『ルック・イースト』
『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシア
だけではありません。口に出しては言わないけれど、アジアの
国々のこれは本音なんですよ。かって反日感情の強かった国々
にも、次第に親日感情が起こりつつあります。そうしたなかに
あって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任
を持つ国になって欲しいのです。日本はかつてアジアに対して
責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を
払ったのです。
この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり
見ているようなものです。
自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」
朴 鉄柱(韓国 韓日文化研究所)
「ソウルから日本を眺めていると、日本が”心”という字に
見える。北海道、本州、四国、九州と、心という字に並んで
いるではないか。日本は万世一系の御皇室を頂き、歴史に
断絶がない。それに対して韓国は、断絶につぐ断絶の歴史で
涙なくしてみることはできない。」
「現在の日本の自信喪失は敗戦に起因しているが、そもそも
大東亜戦争は決して日本から仕掛けたものではなかった。
平和的外交交渉によって事態を打開しようと最後まで取り
組んだ。それまで日本はアジアのホープであり
誇り高き民族であった。最後はハル・ノートをつきつけられ
それを呑むことは屈辱を意味した。”事態ここに至る。
座して死を待つよりは、戦って死すべし”というのが
開戦時の心境であった。それは日本の武士道の発露であった。
日本の武士道は、西欧の植民地勢力に捨て身の一撃を与えた。
それは大東亜戦争だけでなく、日露戦争もそうであった。
日露戦争と大東亜戦争ーこの二つの捨て身の戦争が歴史を
転換しアジア諸国民の独立をもたらした。
この意義はいくら強調しても強調しすぎることはない。」
大東亜戦争で日本は敗れたというが、敗けたのはむしろ
イギリスをはじめとする植民地を持った欧米諸国であった。
彼らはこの戦争によって植民地をすべて失ったではないか。
戦争に勝った敗けたかは、戦争目的を達成したかどうかに
よって決まる、というのはクラウゼヴィッツの戦争論である。
日本は戦闘に敗れて戦争目的を達成した。日本こそ勝った
のであり、日本の戦争こそ、”聖なる戦争”であった。
ある人は敗戦によって日本の国土が破壊されたというが
こんなものはすぐに回復できたではないか。二百数十万人の
戦死者は確かに帰ってこないが、しかし彼らは英霊として
靖国神社や護国神社に永遠に生きて
国民尊崇対象となるのである。」
朱 耀翰 (韓国 元国会議員)
「アメリカ大統領ルーズベルト君、君は口を開けば必ず
正義と人道を唱えるが、パリ講和条約の序文に人種差別
撤廃文案を挿入しようとしたときこれに反対し削除したのは
どこの国だ?黒人と東洋人を差別待遇して同じ席にも着か
せずアフリカ大陸で奴隷狩りをしたのはどこの国であったか?
しかし君らの悪運はもはや尽きた。一億同胞なかんずく
半島の二千四百万は渾然一体となって大東亜聖戦勇士と
ならんことを誓っている!」
ニミッツ元帥(アメリカ 太平洋艦隊司令長官)
この島を訪れるもろもろの国の旅人達よ。故郷に帰ったら
伝えてくれよ。この島を守るために、日本軍人は全員玉砕
して果てた。その壮絶極まる勇気と祖国を想う心根を!
スリム中将(イギリス第十四軍司令官)
たたかれ、弱められ、疲れても自身を脱出させる目的でなく
本来の攻撃の目的を以て、かかる猛烈な攻撃を行った日本の
第三十三師団の如きは、史上にその例を殆ど見ないであろう。
蒋介石
ラモウ・騰越を死守しある日本軍人精神は、東洋民族の誇り
たるを学び、範として我が国軍の名誉を
失墜せざらんことを望む
ベルナール・ミロー(フランス ジャーナリスト)
これら日本の英雄達は、この世界に純粋性の偉大さという
ものについて教訓を与えてくれた。彼らは1000年の遠い
過去から今日に、人間の偉大さというすでに忘れ去られて
しまったことの使命を、とり出して見せつけてくれたのである。
その他各国の要人達のコメント
★アメリカ リチャード・アーミテ-ジ前国務副長官
「主権国家である日本の総理大臣が、中国に限らず他の国
から靖国神社に参拝してはいけないと指図されるようなことが
あれば、逆に参拝すべきだと思います。なぜなら内政干渉を
許してはいけないからです。
もう一つは、全ての国が戦死者をまつりますが、それぞれの
やり方で良いのだと思います」
★マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声を
あげました。敗れて逃げてゆく英軍を見た時に今まで感じたこと
のない興奮を覚えました。
しかもマレーシアを占領した日本軍は日本の植民地としないで
将来のそれぞれの国の独立と発展の為に、それぞれの民族の
国語を普及させ青少年の教育をおこなってくれたのです。」
この国に来られた日本のある学校の先生は
「日本軍はマレー人を虐殺したに違いない。その事実を調べに
来たのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍は
マレー人を一人も殺していません。」
と私は答えてやりました。
日本軍が殺したのは、戦闘で闘った英軍や、その英軍に協力した
中国系の抗日ゲリラだけでした。
★タイ ククリット・プラモード 元首相
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。日本という
お母さんは難産して母体をそこなったが生まれた子供はすくすくと
育っている。今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと
対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。それは
『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。
12月8日は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが
一身を賭して重大決意された日である。更に8月15日は我々の
大切なお母さんが病の床に伏した日である。我々この2つの日を
忘れてはならない。」
★フィリピン マバラカット市長
「フィリピン人は日本で伝えられているような“反日”などではなく
むしろ親日的ですよ…。フィリピンの人々は戦争に対しては日本人
よりも“リアリスト”です。戦争があれぱ多少なりとも悲劇はあると
現実的な
考え方をしています。ですからフィリピンの人々は日本を責めよ
うなどとは思っていません」
★インドネシア モハメッド・ナチール元首相
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。大東亜戦争
は私たちアジア人の戦争を日本が代表して敢行したものです。」
「大東亜戦争というものは本来なら私達インドネシア人が、独立の
ために戦うべき戦争だったと思います。もしあの時、私たちに
軍事力があったなら、私たちが植民地主義者と戦ったでしょう。
大東亜戦争はそういう戦いだったんです。」
★インドネシア アラムシャ 元第3副首相
「我々インドネシア人はオランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく
350年間に亘り幾度か屍山血河の闘争を試みたがオランダの
狡知なスパイ網と強靱な武力と苛酷な法律によって圧倒され
壊滅されてしまった。
それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を
断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し感謝感激したのは
当然である。
★オランダ サンティン・アムステルダム市長(現内務大臣)
「本当に悪いのは侵略して権力を振るっていた西欧人の方です
日本は敗戦したが、その東亜の解放は実現した。即ち日本軍は
戦勝国の全てを東亜から追放して終わった。その結果、アジア
諸民族は各々独立を達成した。日本の功績は偉大であり、血を
流して闘ったあなた方こそ最高の功労者です。自分を蔑むこと
を止め、その誇りを取り戻すべきです
★イギリスの国際法の権威ハンキー卿
『戦犯裁判の錯誤』という本の中で「日本無罪論のパール判事の
主張は絶対に正しい」と明言。
1日1クリックで応援してね
1日1クリックで応援してね