菅義偉官房長官は、記者会見で
ロシア外務省が北方領土問題をめぐる岸田文雄外相
の発言を批判する声明を出したことに対し
「歴史の歪曲(わいきょく)だとの(ロシア側の)
批判は全く当たらない」と反論した。
北方領土については
「日本が1945年8月に(第二次大戦で無条件降伏を求める)
ポツダム宣言を受諾し、その後旧ソ連軍に占領された」
と説明。
「岸田氏は歴史的事実を踏まえた認識を述べた」
と強調した。
岸田氏は20日、訪問先のベルギー・ブリュッセルでの
講演で北方領土問題について
「ウクライナで起きていることも力による現状変更だが
北方領土問題も力による現状変更だ」と指摘。
これに対しロシア外務省は
北方領土が大戦の結果ロシア領になったとして
「歴史を逆さまに捉えるものだ」などとする声明を出した。
ソース:産経ニュース
http://www.sankei.com/politics/news/150122/plt1501220051-n1.html
ロシア外務省が岸田氏の北方領土発言に反発
「許しがたい歴史の記憶の崩壊だ」
岸田文雄外相がベルギー・ブリュッセルの講演で
「ウクライナで起きていることも力による現状変更だが
北方領土問題も力による現状変更だ」と述べたことに対し
ロシア外務省は、談話を発表し
「軍国主義の日本」こそが第二次大戦前に
「多くの国々を占領した」と指摘し
岸田氏の発言は「歴史を逆さまに捉えるものだ」
と主張した。
談話は「日本政府は残念ながら、これまでどおり
歴史の教訓を学ぶことを望んでいない」とし
戦後70年の佳節に「許し難い歴史の記憶の崩壊だ」
と指摘した。
相互不可侵条約を一方的に破棄。
ポツダム宣言受諾後に侵略。
これを火事場泥棒と言う。
70年後の今はっきりと世界に
訂正を求めよう。
嘘だらけの世界
言ったものが勝ち。
取ったものが勝ち。
戦勝国優位が常識。
汚名を返上しよう。
ポツダム宣言
(ポツダムせんげん、英語: Potsdam Declaration)
1945年(昭和20年)7月26日にアメリカ合衆国大統領
イギリス首相、中華民国主席の名において
大日本帝国(日本)に対して発された
「全日本軍の無条件降伏」等を求めた
全13か条から成る宣言。
他の枢軸国が降伏した後も交戦を続けていた
日本はこの宣言を受諾し
第二次世界大戦(太平洋戦争/大東亜戦争)
は終結した。
ソビエト連邦は後から加わり追認した。
宣言を発した各国の名をとって
「米英支三国共同宣言」ともいう。
不可侵条約
(ふかしんじょうやく)とは
相互に相手国に対して侵略行為を行わない事を
国際的に約束し、条約によって明文化するもの。
不侵略条約と言われる場合もある。
条約締結国間では常時侵略行為と見なされる
行動が禁じられ、片方の国が戦争状態になった
場合にはその交戦相手国に対する一切の
援助・支援が間接的な侵略行為と見なされて
禁じられる。
条約の大部分はどちらかまたは両方の国が破棄宣告
してから満1年後に効力を失う(日ソ中立条約など)。
不可侵条約と似た条約に中立条約があるが、その効力
の範囲に差があると考えられている。
ヤルタ会談
(ヤルタかいだん、英:Yalta Conference)は
945年2月4日~11日にクリミア半島のヤルタ近郊で
行われたアメリカ、イギリス、ソビエト連邦による首脳会談。
第二次世界大戦が佳境に入る中
ソ連対日参戦、国際連合の設立について協議された
ほか、ドイツおよび中部・東部ヨーロッパにおける
米ソの利害を調整することで大戦後の国際秩序を規定し
東西冷戦の端緒ともなった(ヤルタ体制)。
併せてアメリカとソ連の間でヤルタ秘密協定を締結し
ドイツ敗戦後90日後のソ連の対日参戦および
千島列島、樺太などの日本領土の処遇も決定し
現在も続く北方領土問題の端緒となった。
また、戦後の発足が議論されていた国際連合の投票方式
について
イギリス・アメリカ・フランス・中華民国・ソ連の5カ国
(後の国際連合常任理事国メンバー)の
拒否権を認めたのもこの会談であった。