首相の靖国神社参拝や従軍慰安婦の問題は、全く理由のない 外地に出動して駐屯する部隊にとって、治安維持と宣撫工作上 あまり詳しいと「よく知ってるね」と冷笑されるのが落ちだろう。 ◆漢口の「慰安所」を見学 日華区とは日本人と中国人とが混じって住んでいる地区で 私は、仕事が貿易商だから、難民区以外はよく歩いた。 私は「特殊慰安所」か、なるほど作戦から帰った兵士には 彼に誘われて一般在留邦人が入れない場所だから、これ幸いと 料金は女性の出身地によって上中下がある。 半島出身者に ◆どこにもいなかった「性的奴隷」 その目で見れば漢口の街でも同様だったが 確かに、昔からの言葉に、「高利貸しと女郎屋の亭主は畳の上で 騙された女性は本当に気の毒だが、中にはこんな話もある。 ところで、その「慰安所」にどれだけの金が流れたのだろうか。 私も初年兵として一ケ年、江西省南昌にいたが、食べたいのを 私が漢口を去った昭和十七年夏以降に、漢口兵站(作戦軍の これでは誰がどう考えても「商行為」であるとしか *補足 ◆問題にして騒ぎ出す者たち だが初年兵教育中、古い兵士には外出がある。 「慰安所」は連隊本部の守備陣地の一隅に鉄条網で囲まれて もちろん勤務は二十四時間である。 私は営舎係だったので歩哨に立たないから何度も歩哨を引率して 考えてみるまでもない、そこで遊んでいる兵士は丸腰どころで 「慰安所」の経営者は中国人だったし 部隊が移動する時もそうなるだろう 私の話す湖北省の言葉もだいたい通じたので もう六十年も昔のことである。時代が変わり、また平時と戦時の そうであるにもかかわらず、すでに証拠も不完全になっていること 言えることはただ一つ、不完全だからこそ喚き散らしていれぱ 「異常に多く実を結んだ果樹は枯れる前兆」で 買うから売るのか売るから買うのかはともかく、地球上に人が こんなことで騒がれては、被害者はむしろ高い料金を払った http://www4.airnet.ne.jp/kawamura/enigma/2005/2005-01-
【南朝鮮】外相が苦言、日本側に努力を促す!
「日韓首脳会談について日本側に十分な動きない」
尹外相は
「南朝鮮側の努力」を問う質問もあったが
それに対しては
「日本側は慰安婦問題を関係の側面でのみ見ているが
国際社会はそれ以上に見ている。
普遍的な人権の問題、性暴力の問題とし、多くの国際機構と
国際社会で話し合われている」と述べた。
その上で、「国際社会がこの問題をどのように見て、(生存している)
軍隊慰安婦の方々が
なぜ自尊心や名誉の回復を望んでいるのかを
日本側でより深く考える必要がある」と強調し
日本側の努力を促した。
http://www.sankei.com/world/news/150119/wor1501190037-n1.html
「『従軍慰安婦』なるものは存在せず」私が見た従軍慰安婦の正体
…元陸軍少尉 小野田寬郞氏
小野田さん
「従軍慰安婦は朝鮮人が経営していた」
「軍の行く先を
朝鮮人経営者が付いて回っていた」
証言「私が見た従軍慰安婦の正体」 私が見た従軍慰安婦の正体 小野田寛郎
他国からの言いがかりで、多くの方々が論じているところだ。
南京大虐殺と同様多言を弄することもあるまいと感じていたのだが
未だに妄言・暴言が消え去らない馬鹿さ加減に呆れている。
戦後六十年、大東亜戦争に出征し戦場に生きた者たちが
少なくなりつつある現今、私は証言として
「慰安婦」は完全な「商行為」であったことを書き残そうと考えた。
最も障害になる問題は、兵士による強姦と略奪・放火である。
そのためにどこの国もそれなりの対策を講じていることは
周知の通りである。
大東亜戦争時、戦場には「慰安婦」は確かに存在した。
当時は公娼が認められている時代だったのだから至極当然である。
野戦に出征した将兵でなくとも、一般に誰でも「従軍看護婦」と
言う言葉は常識として知っていたが、「従軍慰安婦」と言う言葉は
聞いた者も、また、使った者もいまい。
それは日本を貶める為に後日作った造語であることは確かだ。
淫らな言葉だが、中国戦線では「ツンコ・ピー」「チョウセン・ピー」
と呼んでいた筈であるが、他の人の見ている所でする筈のない
ことだけに、「慰安所」のことも「慰安婦」のことも
公の場で自己の見聞を正確に発表する人が少ない。
では何故、君は、と私に聞かれるだろうが、幸い私はその実態を
外から観察出来る立場にあったから、何も臆することなく
世の誤解を解くために発表することが出来るのだ。
商社員として十七歳の春、中国揚子江中流の漢口(現武漢)に
渡った私は、日本軍が占領してまだ五カ月しか経っていない
言わば硝煙のにおいが残っている様な街に住むことになった。
当時、漢口の街は
難民区・中華区・日華区・フランス租界・日本租界・旧ドイツ租界
旧ロシア租界・旧英国租界に分かれていて地区ごとにそれぞれ
事情に合った警備体制が敷かれていた。
そこに住む中国人は中華区に住む者と同様「良民証」を携帯して
おり、そうでない者は警備上難民区に住まされていた。
難民区は日本兵も出入りを禁止されていて、私たち在留邦人は
届け出て許可を得なければ出入り出来なかった。
それだけ危険な場所だった。
ある日、汚れた軍服を着た兵士に「慰安所はどこか知りませんか」
と路上で尋ねられ、一瞬思い当たらず戸惑った。
しかし看板に黒々と「漢口特殊慰安所」と書いて壁に掲げていて
その前に歩哨と「憲兵」の腕章をつけた兵隊が立っている場所を
思い出したのでその通り教えてあげた。
映画館と同様に日華区にあった。汚れた軍服から推測して
作戦から帰ってきた兵士に間違いない。街を警備している兵士は
そんな汚れた軍服で外出してないからだ。
慰安が必要だろう。
小遣い銭もないだろうから無料で餅・饅頭・うどん他がサービス
されるのだろうと早合点していた。
ところが、私の知人が営む商社は日用品雑貨の他に畳の輸入
もしていて、それを「慰安所」にコンドームなどと一緒に納入して
いたので「慰安所」の出入りが自由であった。
見学に行った。
私たちは、憲兵に集金の用件を話してまず仕事を済ませた。
日が暮れていたので「お茶っぴき」(客の無い遊女)が大勢出てきて
経営者と私たちの雑談に入ろうとしてきたが追い払われた。
そこには内地人も鮮人も中国人もいた(現在、鮮人は差別用語と
みなされ、使われない。しかし朝鮮半島が日本統治だった当時は
「日本人、朝鮮人」などと言おうものなら彼らに猛烈に反駁された。
彼らも日本人なのだからと言う理由である)。
群がってきた彼女たちは商売熱心に私たちに媚びてきた。
憲兵は特別な事情の時以外は、部屋の中まで調べに来ない
からである。
また、利用時間も兵士は外出の門限が日没までだから日中に
限られるが、下士官は門限が長く、将校になれば終夜利用出来る。
料金も階級の上の方が割高で、女性たちは当然、同じ時間で多く
稼げることになる。
「コチョ(伍長─下士官)かと思ったらヘイチョウ(兵長─兵士)か」
「精神決めてトットと上がれ ネタン(値段)は寝間で
ペンキョウ(勉強)する」とか、笑うどころではない涙ぐましいまでの
努力をしているのも聞いた。
内地人のある娼妓は「内地ではなかなか足を洗えないが
ここで働けば半年か一年で洗える」といい
中には「一日に二十七人の客の相手をした」と
豪語するつわものもいた。
ここで親しくなった経営者の話を紹介しよう。
「体力的に大差がない筈なのに、内地人は兵士たちと言葉が
通じるために情が通うのか、本気でサービスして商売を忘れ
健康を害してしまう。
そのために送り返さねぱならず、経営者にとって利益が少ない。
兵隊さんには内地人ばかりで営業するのが本当だが」と本音を
漏らしていた。
私の育った街には花柳界があったので、芸妓と酌婦をよく眼に
したが、当時は玄人女と呼ばれた彼女たちの外出姿でも
一般の女性と見分けることが出来た。
特に朝鮮人の女たちは特色があった。
というのは彼女たちは数人で外出してくるのだが、民族衣装ではなく
着慣れないツーピースの洋装のせいで着こなしが悪く
また歩き方にも特徴があって一目で見分けられた。
彼女たちは実に明るく楽しそうだった。
その姿からは今どきおおげさに騒がれている「性的奴隷」に
該当する様な影はどこにも見いだせなかった。
往生出来ぬ」というのがあった。
明治時代になって人身売買が禁止され「前借」と形は変わったが
娘にとっては売り飛ばされた」ことに変わりはなかった。
先述の「足を洗う」とは前借の完済を終えて自由の身になることを
言うのだが、半島ではあくどく詐欺的な手段で女を集めた
者がいると言う話はしばしば聞いた。
「『従軍看護婦募集』と騙されて慰安婦にされた。
私は高等女学校出身なのに」と兵士や下士官を涙で騙して
規定の料金以外に金をせしめているしたたかな女もいた。
またそれを信じ込んでいた純な兵士もいたことも事実である。
日本統治で日本語が通じた故の笑えない喜劇でもある。
これが「慰安婦」が「商行為」
であった確かな事実である。
私の次兄が主計将校で、漢口にある軍司令部に直接関係ある
野戦衣糧廠にいたので「慰安所」について次のような統計が
あると教えてくれた。
当時、漢口周辺には約三十三万人という兵力が駐屯していたが
ある理由で全軍の兵士の金銭出納帖を調べた。
三分の一が飲食費、三分の一が郵便貯金
三分の一が「慰安所」への支出だった。
貯金は給料の僅かな兵士たちにとって嬉しいことではなかったが
上司から躾として教えられている手前せざるを得なかったのが
実情だった。
我慢して貯金した。
一人の兵士がそれぞれ三等分して使った訳ではないだろうが
人間の三大欲は食欲、睡眠欲と性欲と言われるだけに、貯金を
睡眠に置き換えると全く物差しで測った様な数字である。
ちなみに当時の給料は兵は一カ月平均十三円程で
その三分の一を約四円として計算すると三十三万人で
総額約百三十二万円になる。
「零戦」など戦闘機一機の価格は三万円と言われたが
実に四十四機分にも相当する。
サラリーマンの初任給が四十円そこそこの頃だったのだから
経理部の驚くのも無理のない話である以上が、私が商社員と
して約三年半の間、外部から眺め、また聞き得た
「慰安所」と「慰安婦」の実態である。
後方にあって車両・軍需品の前送・補給・修理・後方連絡線の確保
などに任ずる機関)の副官で「慰安所」等を監督した将校の著
『漢口兵站』と照合してみたが、地名・位置等について多少の
相違点は見いだしたが、本題の「慰安所」について相違はなく
より内情が詳しく記されていた。
言いようがないだろう。
「商行為」ではない、軍による「性的奴隷」であるとそれでも強弁
するとすれば
知らな過ぎるのか
愚かで騙されているのか
そうでなければ関西人が冗談めかして言う「いくらか貰うてんの?」
なのかもしれないが、あまりにも馬鹿げた話である。
の狙い
次に、軍関与の暴論について証言する。
私は二十歳で現役兵として入隊、直ちに中支の江西省南昌の
部隊に出征した。
初年兵教育が終わって作戦参加、次いで幹部候補生教育
途中また作戦と、一ケ年一度の外出も貰えずに久留米の
予備士官学校に入校してしまったから、外出して
「慰安所」の門を潜る機会に恵まれなかった。
外出の度にお土産をくれる四年兵の上等兵に「外出でありますか」と
挨拶したら「オー、金が溜ったから朝鮮銀行に預金に行くんだ」と笑って
返事をしてくれた。
周りは周知の隠語だからクスリと笑うだけだった。
南昌には師団司令部があった。
「慰安所」には内地人も朝鮮人も中国人もいて、兵士は懐次第で相手を
選んで遊んだのだろう。
私は幹部候補生の教育を、南昌から三十キロ以上も離れた
田舎の連隊本部で受けた。
営業していた。
教育の末期に候補生だけで本部の衛兵勤務につくことになった。
巡察に出た。
巡察区域の中に「慰安所」も含まれていた。
前線の歩哨は常時戦闘準備をしている。
兵舎内の不寝番でさえ同様だ。鉄帽を被り、銃には弾を装填し
夜間はもちろん着剣である。
その姿で「慰安所」の周囲だけならまだしも、屋内も巡察し、責任者
の差し出す現在の利用者数の記録を確認する。
軍規の維持とゲリラの奇襲攻撃を警戒しているからである。
はない。
もっと無防備で不用心な姿の筈である。
その将兵を守るべき責任は部隊にあるのは当然だ。
それに性病予防の問題もある。そんな田舎に医師や病院が
ある筈がない。
性病予防のため軍医や衛生兵が検査を実施するしかない。
日本では当時公認の娼妓と呼ばれた女たちも中国人だった。
彼らも食料やその他の生活用品が必要だ。大人数なのだから
それなりの輸送手段もいる。
辺鄙な場所だから部隊に頼る以外方法がない。
経営者と立ち話をして彼女たちについてそれなりの様子も
聞き出せた。
今でも「慰安所」の両側に部屋のある中廊下を巡察した
不粋な自分の姿を思い出すが、こんな漫画にもならない
風景が現実にあったのだ。これは私の部隊だけではないと思う。
違いもある。
したがって娼妓(ここでは慰安婦に相当する)に対する解釈も
当然変化している。
を幸いに
今更これを問題にして騒ぎ出す者たちの狙いは何なのか。
何かが得られると狙っているということだ。
戦場に身を曝し、敵弾の洗礼を受けた者として最後に言っておく。
このことだけは確かだ。野戦に出ている軍隊は、誰が守って
くれるのだろうか。
周囲がすべて敵、または敵意を抱く住民だから警戒を
怠れないのだ。
自分以上に強く頼れるものが他に存在するとでも言うのなら
また話は別だが、自分で自分を守るしか方法はないのだ。
軍は「慰安所」に関与したのではなく、自分たちの身を守るため
の行為で、それから一歩も出ていない。
「種の保存の摂理の働き」と説明されるが、明日の命も知れぬ
殺伐とした戦場の兵士たちにもこの「自然の摂理」の
心理が働くと言われる。
彼らに聖人君子か、禅宗の悟りを開いた法師の真似をしろと
要求することが可能なのだろうか。
現実は少ない給料の中から、その三分の一を「慰安所」に持って
行ったことで証明されている。
有り余った金ではなかったのだ。
「兵隊さん」と郷里の人々に旗を振って戦場に送られた名誉の
兵士も、やはり若い人間なのだし、一方にはそうまでしてでも金を
稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が
実際に存在していたのだ。
存在する限り、誰も止めることの出来ないこの行為は続くだろう。
根源に人間が生存し続けるために必要とする性さがが
存在するからだ。
「従軍慰安婦」なるものは存在せず、ただ戦場で
「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みに
つけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。
兵士と軍の方ではないのか。
16-onoda_ianhunoshoutai.html