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朝鮮民族(南朝鮮人・北朝鮮人)が認めたがらない歴史的事実一覧

【拡散希望】
  惨めすぎる歴史を直視せよ

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哀れなる民族
朝鮮民族(南朝鮮人・北朝鮮人)が
         認めたがらない歴史的事実一覧


・稲作が九州から朝鮮半島に伝わったこと

・唐辛子が日本から朝鮮に伝わったこと(足袋(たび)に入れて足を温めるものとして朝鮮半島に持ち込まれたのが唐辛子)

・半島南部の先住民が日本人(倭人)であったこと

・新羅の建国時の宰相が日本人(倭人)であり、王家の二つが倭人系統であること、また始祖の朴赫居世についても日本人説(倭人説)があること

・百済、新羅が大和朝廷に対し従属的地位にあったこと

・大和朝廷による任那(伽耶)地域の支配があったこと(半島南部における多数の前方後円墳の存在)

・朝鮮半島における文化的独自性が欠落していること(あらゆる分野での古典の不在)

・属国として歩んできた歴史であること(漢民族・モンゴル民族・満洲民族のどの民族からも朝鮮民族は格下扱いされてきた)

・中国の属国になってから、みずから改名して、中国語の姓名
であること

・秀吉の朝鮮出兵が日本と明の戦争であったこと(李氏朝鮮の軍は明の軍の指揮下に入り、和平交渉も日本と明の間で行われた)

・李氏朝鮮王が、中国の地方長官の地位でしかなかったこと

・清から、李氏朝鮮が琉球とベトナムよりも格下に扱われていたこと

・李氏朝鮮の前の高麗では、元の命令で、王妃が代々モンゴル人であり、モンゴル人の母親から生まれた息子しか国王になれなかったこと

・朝鮮半島の国が、歴史上一度も、単独では戦争に勝ったことがないこと(朝鮮民族と組んだ国も戦争に勝てない。高麗と組んだ元の元寇、大韓帝国を併合した

・朝鮮民族が雑多な民族の集まりであること

・ハングルで表記できない発音がいくつもあること

・チマチョゴリが、子を産んだ女性は胸を露出して着る服であったこと

・朝鮮半島に唐辛子が広まったのは、塩の代わりの調味料だったこと

・李氏朝鮮の時代に、木を丸くする技術がなくて、二輪車がなかったこと

・秀吉が朝鮮に出兵した時に、秀吉側について明と戦った朝鮮人がたくさんいたこと

・馬に乗って戦っている倭寇がいて、日本人じゃない倭寇がいたこと

・日本に文明を教えてあげたと主張する王仁博士の出身地に、王仁博士の一族の末裔も王という姓の人もいないこと

・竹島が古代から一貫して日本の領土であったこと

・テーブルで肉を焼く料理法は戦後、日本から韓国に伝わったこと

・文盲だった朝鮮人にハングルを教えることにしてハングルを広めたのは日本人であること

・高麗の時代には、済州島は元の直轄地で、元の領土だったこと

・朝鮮戦争前はむろん、朝鮮戦争後もずっと、韓国人は白米を常食にできなかったこと

・朝鮮半島の国は中国の国に朝貢するにも朝貢する文物がないので女性を献上していたこと

・大韓帝国(李氏朝鮮)の外国からの莫大な借金を、日本が代わりに支払ってやったこと

・大韓帝国(李氏朝鮮)の李王家の帰国を大韓民国(現在の韓国)が拒否していて、大韓帝国と大韓民国は別の国であるので、大韓帝国併合については大韓民国人(韓国人)は言及できないこと

・2000年近い朝鮮半島の歴史の中で、朝鮮半島を統一した独立国家としての歴史は、936年から963年までの高麗の27年間と、1895年から1910年までの李氏朝鮮(1897年から大韓帝国と改称)の15年間しかないこと

・朝鮮という国名にしたのは明だが、他国に自国の国号を決めてもらった世界にただ一つの国であること

・百済と新羅の時代に朝鮮半島に住んでいた日本人が文明人として他の民族から尊敬されていたこと

・百済と新羅から帰化した人からの朝鮮語の伝搬が見られないことから、帰化人とは朝鮮半島に住んでいた日本人であったこと(帰化人を渡来人というのは誤り。文字通り帰ってきた人達。朝鮮半島からの帰化人は引き揚げ者)

・昔から今まで常に日本列島が朝鮮半島よりも文明文化が進んでいたこと

・済州島には朝鮮民族とは別の言語・風習を持っていた、朝鮮とは別の民族が住んでいたにもかかわらず、済州島を併合してしまったこと

・1948年に、済州島の民族を大虐殺したこと

・済州島の民族の言語とアイヌ語に共通な語があって、済州島には日本列島と同じ民族が住んでいたこと

・元寇の兵の大半は高麗人(朝鮮民族)だったこと(韓国では元寇を元の「日本征伐」としていて、高麗人が元寇の主力兵だったことを教えていない)

・民族が到達しやすくても脱出しにくいのが半島だが、そもそも朝鮮半島には日本人が住んでいて、後から別の民族がやってきて、それが朝鮮民族になったと考えられること

・民族は敵性民族がいなければ暖かい所に移動するので、朝鮮半島の朝鮮民族は北のほうから南下してきたと考えられること

・朝鮮民族が南下してきたといっても単一の民族としてではなくて、満洲民族、モンゴル民族、漢民族、北方のツングース民族等が南下して朝鮮民族になったと考えられること

・韓国では中国を親の国、韓国を兄の国、日本を弟の国だと教えているが、それ自体が韓国の属国思想であること(日本は独立国だったので、そういう発想がない)

・宦官制度が新羅の時代から1894年の甲午改革で廃止されるまであって、去勢された男子の宦官がいたこと

・朝鮮民族は漢民族・満洲民族・モンゴル民族に従属していて格下の民族とされていたこと

・清朝の冊封体制の中で李氏朝鮮の地位は低く、朝鮮使臣のみが丸首の衣で歩いて裏門から入ったこと(朝鮮使臣のみが礼服と籠に乗ることと正門から入ることを禁じられていた)

・昔の李氏朝鮮の大極旗には清国属国旗と記されていること

・遣隋使、遣唐使、日明貿易の時代にも朝鮮を通さずに日本は交易していること

・李氏朝鮮の時代も、水田の灌漑施設がなかったこと

・1000年にわたる売春立国であること

・遣隋使、遣唐使、日明貿易はあったが、遣高麗使、遣朝使のような朝鮮半島との貿易はなかったこと

・朝鮮の漬け物の発祥地は中国の重慶であること

・高麗の青磁は中国の殷が起源、李氏朝鮮の白磁は中国の北斉が起源であり、どちらも朝鮮半島の発祥の文物ではないこと

・日本の歴史は事実・真実のままで世界に誇れる立派な歴史であること(歴史を偽造する韓国に配慮して日本の教科書を記述することなどとんでもないことである)

・韓国の教科書には「〇〇を日本に教えてあげた」という記述が山のようにあるが、そのすべてが偽造・ねつ造であること(韓国は、日本発祥のものでさえ教えてあげたと記述する傲岸不遜
な国。教えたも問題だが、教えてあげたという表記は無礼千万)

・朝鮮半島発祥の文物で日本に影響を与えたものは一つもないこと(朝鮮民族がいなくても日本の文明文化は発展していた)

・朝鮮半島に存在しないDNAの稲が日本だけにあること(稲作は中国雲南省あたりから海路で九州に伝わったから)

・新羅も百済も日本(倭国)のことを文化大国として敬仰していたこと(朝鮮半島初の統一国家である新羅の基礎づくりを指導したのは日本列島から渡ってきた日本人(倭種)だった。「第四代新羅王の解脱(タレ)は、倭の東北一千里にある多婆那国の生れ」(三国史記新羅本記)、多婆那(タバナ)国は、丹波、あるいは但馬と考えられている)

・日本国は九州北部と朝鮮半島にまたがっていたこと(鉄資源を採取するための拠点が朝鮮半島南部にあり、そこから南が倭国(日本)と認識されていた。「韓は帯方郡(魏の直轄地・現ソウル付近)の南にあり、東西は海、南は倭と接す」「倭に至るには(海岸に沿って水行し韓国を経て、あるいは南し、あるいは東し)その北岸、狗邪韓国に至る。(そこから)はじめて海を渡ること千余里、対馬国に至る・・」(魏志「韓伝」および「倭人伝」)

・日本は朝鮮半島南部の拠点を通じて、1世紀ごろには中国大陸と直接交流していたこと

・戦前の朝鮮史研究では、新羅4代王が日本列島の出身者であることなど常識であったこと

・新羅16代の王のうち半数が日本人であったこと(半島古史研究で基本資料とされる『三国史記4』(東洋文庫)に全文間違いの訳注がある。日本人(倭種)は4代目のみとする訳注を書いたのは韓国人の鄭早苗)

・新羅と百済の同時代の『唐書』に、「新羅も百済も倭国(日本)を大国として敬仰している。それは倭国には優れた品々が多いためで、常に使節が倭国に赴いている」との記述があること

・日本の皇室が世界で一番古い家系であること

・青森県の大平山元遺跡が「世界最古」の遺跡であること

・日本の神道のような信仰は世界中にあったが、今は日本にしか残っていないこと

・日本の前方後円墳は3世紀に出現したが、朝鮮南部の栄山江から発見された前方後円墳は5~6世紀のものであること(日本人が朝鮮半島に住んでいた証拠であると知った韓国人は朝鮮半島の前方後円墳を爆破した)

・百済では1世紀になって初めて稲を作るべしとの王令が出たこと

・日本の農業用語に朝鮮由来の言葉がないこと(朝鮮から伝来していないから)

・日本書紀が書かれたのは8世紀だが、朝鮮の三国遺事が書かれたのは13世紀であり、日本の神話が朝鮮の神話よりも古いこと(日本の神話が朝鮮の神話を真似たというのは嘘。朝鮮神話が5000年前の熊太郎(檀君)神話を実話として教科書で教えているのは荒唐無稽)

・朝鮮が属国だったから、朝鮮からの使節が外交使節でなく朝鮮来聘使、朝鮮聘礼使とされたこと(朝鮮が貢物を幕府に献上した使節が朝鮮来聘使、朝鮮聘礼使)

・現在ソウルの城門のあった場所には「独立門」というものが建てられたが、昔その場所には『迎恩門』という門があり、それは「朝鮮王が9回頭を地面に叩きつけて擦りつけ、ひれ伏して清の使者を迎える」という・屈辱的な隷属の象徴の門だったこと

・朝鮮国王は 中国の王朝の皇帝によって任命されたこと

・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならなかったこと

・朝鮮国王の地位は、中国の王朝の廷臣よりも下だったこと

・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてなかったこと

・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もなかったこと 朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭、馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならなかったこと

・新羅が日本の属国であって、新羅の王子が日本に人質にとられていたこと

・白村江の戦いとは、日本の属国から唐の属国になって寝返った新羅をめぐっての、日本と唐の宗主国同士の争いであったこと

・ハングルが日本の阿比留文字の真似であること(李氏朝鮮の世宗大王が対馬に進攻したが撃退された「応永の外寇」のときに阿比留文字の存在を知った)

・朝鮮通信使が、朝鮮の王から、日本から技術を学んでくるように言われていたこと

・併合前の大韓帝国がアジア最貧国だったこと(1910年のインドよりも、1910年の朝鮮半島は貧しかった)

・李氏朝鮮の王の即位の年には、「朝鮮国、権署国事、臣李某」から始まり、「国事をかりに処理する臣下の李」と、李氏朝鮮の王から清への書状に書かれていたこと

・「朝鮮」とは朝貢物の少ない国という意味であること(鮮は少ないという意味)

・現在の朝鮮民族と古朝鮮とは民族の連続性がないこと(現在確認されている朝鮮古語は180語しかない)

・満州国国歌を韓国国歌にしていること

・李氏朝鮮が男尊女卑の社会であって女は子を産む存在でしかなかったこと

・韓国は東北から北海道の緯度にある寒冷地帯であって、南方の食べ物である稲が育つはずがなくて、1980年代まで韓国人は雑穀を食べていたこと

・朝鮮半島には価値ある文化、富や食、豊かな土地などまったくなかったという理由で、中国の王朝が朝鮮半島を自国領にしなかったこと

・トンスル(人糞酒)があること(犬、猫、鳩の糞の酒もある)

・百済時代には、百済を含めた朝鮮半島の南部から中部まで日本の文化圏だったこと

・遺伝子(DNA)鑑定によれば、現在のコリアンの多くが北方系民族で、日本人の系統とはまったく異なること

・朝鮮半島の歴史上、最も繁栄したのが日韓併合時代であったこと(インフラが整備され、人口は倍増、学校が作られて教育水準も上がった)

・病人のまねをする病身舞があったこと

・戦後、障害児を海外に養子に出して捨てていたこと

・朝鮮半島ではオルドス式銅剣もそれを製造する鋳型も見つかっていないこと(中国大陸と日本列島では発掘されている)

・朝鮮半島では大陸性の青銅ナイフが見つかっていないこと(日本では見つかっている)

・朝鮮は外部世界と隔絶した秘境で、文化がなかったこと

・朝鮮半島には布を染色する技術がなくて、住民は色落ちした白い服しか着れなかったこと

・高句麗が、日本を格上の国として、日本に朝貢していたこと

・高句麗も渤海も朝鮮民族の国とは言えないこと

・李氏朝鮮の李氏が満洲民族だったこと(韓国が李氏朝鮮の初代の李成桂の歴史ドラマを作らないのは李成桂が満洲人だから)

・父親の大便を息子がなめて健康を見るのが孝行息子とされていたこと

・明の皇帝の衣装が龍9匹、皇族が8,7匹、大臣級が6,5匹、地方の役所の長が4,3匹なのだが、朝鮮王は龍3匹の衣装だったこと(龍3匹の衣装にも赤と青があるが、格下の青い衣装だった)

・李氏朝鮮には1882年まで国旗がなかったこと(属国だったから)

・李氏朝鮮の首都の漢城(現在のソウル)に、道路すらろくになかったこと

・鼻が曲がりそうな糞尿の悪臭が朝鮮半島全土をおおっていたこと

・家が竪穴式住居に近いものであったこと

・朝鮮では中国の貨幣を使用していたが、庶民には流通せず、庶民は5日おきに開かれる市場で物々交換していたこと

・李氏朝鮮時代に、性的奉仕を行う「妓生キーセン」がいて、身分は奴婢であって、妓生こそが性奴隷だったこと

・大韓帝国併合時、朝鮮に公立学校は約100校しかなかったが大日本帝国が1943年までに4271校まで増やしたこと(それらは当時日本列島にもなかったコンクリートやレンガ造りの三階建て校舎などだった)

・韓国は高句麗と渤海を朝鮮民族の国としているが、高句麗は日本を兄の国として外交使節を送ってきて、高句麗の後の渤海は日本を「父の兄、伯父(おじ)」の国として外交使節を送ってきていたこと

・キムチが人糞を混ぜて発酵させる食品だったこと(人糞の臭みを消すために唐辛子をどっさり入れた)

・キムチに使われる白菜も日本から伝わったこと(大正時代に名古屋の野崎徳四郎が栽培に成功した)

・役人が薪にするため柱を切ってしまうので、持っていかれないように、柱に人糞を塗ることがあったこと

・李氏朝鮮の李氏は明・清の後ろ盾で朝鮮王を名のっていただけであり、朝鮮半島は実質は無主地だったこと

・大日本帝国の民間銀行「第一銀行韓国総支店」が1902年に第一銀行券を発行したが、それが韓国で初めての紙幣であったこと

・男尊女卑で、女性は男性の食べ残しを食べていたこと

・ハングルは表音文字なので、「放火」と「防火」が同じ、「素数」と「少数」が同じ、「祈願」と「起源」が同じになってしまうこと

・李氏朝鮮・大韓帝国に鉄道がなかったこと

・李氏朝鮮・大韓帝国が禿山ばかりだったこと

・キムチがもともと中国の酸菜(冬季用の漬物)が三国時代に韓国に伝わったものである(白いキムチ)と中国最古の詩篇「詩経」に記載されていること(それに唐辛子を加えたのが今の赤いキムチ)

・李氏朝鮮・大韓帝国には2階建ての建築物がなかったこと(外国人の建築物を除く)

・英語その他のヨーロッパ語の辞書が作られたのは日韓併合後であったこと

・朝鮮人小学校の年間平均学費が1人7円30銭であったのに対し、日本人小学校の年間平均学費が平均40円であったこと(日韓併合時代、日本は朝鮮人を優遇していた)

・大日本帝国軍の将校であった多くの韓国人が創氏改名をしなかったこと(もし創氏改名が強制されたものであったとしたら、朝鮮半島出身の将校こそ、手本を示すために創氏改名させられたはず)

・李氏朝鮮518年、日韓併合時代、1945年以後の南北分裂時代の3つの時代を比較して、もっとも人命が尊重されて人口が増えたのは日韓併合時代だったこと

・朝鮮の残虐な刑罰を廃止したのは日本政府であったこと

・大韓帝国併合を要請したのは大韓帝国側であったこと

・車輪を作れなかったので、李氏朝鮮・大韓帝国には馬車・牛車・人力車、農業用の水車がなかったこと

・朝鮮民族には入浴する習慣がなかったこと(大日本帝国時代、朝鮮半島に銭湯が作られて、日本人と朝鮮人の浴槽は別々であったが、朝鮮人の女が入浴に来た例はなかった)

・朝鮮半島の諸国が日本の管轄下にあったことを南宋の順帝が公式に認めていたこと(宋書は、倭王・武の順帝宛上表文の「海を渡って平らげること95ヶ国)を認め、順帝から「武を使特節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に叙した」とする)

・広開土王碑文には「391年、倭が百済と新羅を破り臣民とした」とあること

・鉄の産地は主に新羅地域だが、隋書に「日本人(倭人)が鉄を採掘している、という『韓伝』の転載」があること

・752年の奈良大仏開眼供養には、アジア各国からの参列者があって、日本の勢力は隆盛だったこと(導師はインド出身の僧菩提僊那で、従者には胡人(イラン人)も混じり、日本、唐、高麗の楽舞が大仏に奉納された。1万数千人もの参列者の名簿が正倉院文書にある)

・百済の時代に、日本に70近くの国分寺、国分尼寺が建立されていたこと(仏教が百済から伝わったというのは嘘)

・野糞が普通だったこと(どの道も糞尿だらけだった)

・少女キーセン(性奴隷)がいたこと

・私有財産が保障されていなかったこと

・大韓帝国併合後は、洪中将、金少将など、朝鮮人を分け隔てなくして、日本人兵士に対して命令できる軍の高位に抜擢したこと

・朝鮮の女性には名前がなかったこと

・平均寿命が24歳だったこと(大韓帝国併合後には平均寿命が56歳に上がった)

・朝鮮人女性の性奴隷を禁止したのは大日本帝国政府であったこと

・現代の朝鮮民族の風習がロシアのエヴェンキ族に酷似していること(古代の朝鮮とは別の民族)

・朝鮮には木を丸くする技術がなかったので桶(おけ)も樽(たる)もなかったこと

・朝鮮民族は犬を食べるが、時間をかけて犬を苦しめて殺していたこと

・元寇の兵士の大半が朝鮮民族だったが、占領した対馬の住民に対して、男は皆殺し、女は掌に穴をあけて縄を通して船につるしたこと(日本兵が矢を射られないようにした)

・在日韓国籍コリアンの多くが、戦後、済州島から日本に密入国してきた人であること(戦時中の強制連行どころか、戦争が終わって大韓民国ができてから自分の意志で日本に来た)

・韓国語に「おもいやり」の単語がないこと(韓国人は「人をおもいやる」ことがないから)

・朝鮮半島は、ソウルでさえ浮浪者が集落を作っているに過ぎず、何の文明もなかったこと

・朝鮮半島は「羅生門」の時代よりも悲惨な状態だったこと

・朝貢が少ないと文句を言う清王朝の機嫌をとるため、収穫物・生産物のほぼすべてを両版(リャンバン)が収奪していたこと

・1910年の時点で朝鮮の住民の94%が文盲だったこと(ハングルも読めなかった)

・対馬の領土化を狙った李氏朝鮮の対馬侵略が1419年の「応永の外寇」だが、対馬の守護や主力兵が不在の時期を狙って17285人の軍勢を対馬に侵攻させたにもかかわらず、対馬の留守を預かる600人程度の日本の武士に李氏朝鮮が10日ほどで完敗したこと(戦死者が日本20人、朝鮮2500人以上)

・「応永の外寇」の結果、対馬が日本であることを李氏朝鮮が再確認させられたこと

・李氏朝鮮が対馬に朝貢していたこと(李氏朝鮮は明治になるまで、毎年大量の米、麦、野菜などを対馬に献上していた)

・大日本帝国は1895年に台湾を、1910年に朝鮮半島を併合したが、1910年の朝鮮半島が1895年の台湾よりも非文明地域だったこと

・創氏改名を要請したのは朝鮮人の側だったこと(朝鮮民族は漢民族・満洲民族から格下扱いされていたので、日本名を名乗って日本民族を詐称することを朝鮮民族が望んだ)

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